読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

dan-matsu-ma

イアラー!

贅肉を捨てよ、町へ出よう(契約編)

 本当に私はジムに通う人間を嫌悪していたのだ。
「筋肉のためにジムなんて気持ち悪い」と思っていた。健康のために通う人が大多数であろうことは無視し、ただ悪意だけをもって見つめていた。
 はじめは、ただ自らが為しえないことに対する羨望からくる嫉妬だったのかもしれない。それでも何年も煮詰めればもはや嫉妬も羨望もクソもなくなって、ただのヘドロみたいな嫌悪だけが残っていたのだ。

 友人からは会うたびに「お前その腹やばいよ」と言われ続けていた。あまりにも言われすぎたため、「お前のその顔のデカさもやばいよ」と切って返すことで(友情ポイントをすり減らしながら)対抗していた。友人も友人で「いや俺は本当に心配して言っているんだよ」とわざとらしく返してくるので、「俺もてめえの顔のでかさを本当に心配してるんだよ」と無理やりマウントを取りにいくことで現実から目を逸らしていた(私の根性はくさっている)。
 ときどき腹肉をつまみながらも、いつか勝手になくなるだろうとたかをくくっていたのだ。

 しかしとうとう現実が私を捕らえた。母親・同僚・恋人から「腹がやばい」と言われたのである。
 ただの近しい三方から、という話ではない。子供には基本甘く褒める主義の母親と、当たり障りのない会話しかしない同僚と、私の見た目についてほとんど何も語らない恋人からの言葉である。
 いつのまにか私の贅肉は、母のわが子に対する愛を越え、同僚のオブラートを突き破り、恋人に学術的興味を持たせるほどの威力を持っていた。安穏と過ごしていた私の世界を贅肉が破壊しはじめたのだ。
 世界を守るために、私は贅肉と戦うしかなかった。

 どうやら本当に私の腹肉はやばいらしい、もうジムに通うしかない、と友人に告げたとき、「だから言ったじゃん」と彼はケタケタ笑いながら答えた。十年来の付き合いでもほとんど見たことのない喜色満面なツラにまた悪態をつきたくなったが、ぐっと飲み込み素直に白旗を挙げざるを得なかった。私はジムを忌避するあまりジム関連の知識が皆無だったので、教えを乞うしかなかったのだ。事実上の敗北である。
「エニタイムフィットネスがいいよ。まず24時間空いてるからお前みたいな仕事でも帰りに寄れるし、従業員もいない時間が多いから人とまったく関わらないでトレーニングできるし、あとシャワーも浴びれるからジム寄った後帰ってすぐに寝れるし。それに全店舗利用できるから、単純にシャワー浴びたいときにも便利だよね。何回でも好きな時間に通えるから他のジムより絶対得だよ」
 彼は自分の通うジムの利点をすらすらと挙げてみせた。進研ゼミの漫画かアムウェイの勧誘か、はたまた新興宗教かと勘違いするほどであったが、しかし私は弱っていたのでうんうんとうなずきながら聞いていた。おそらく教祖様からのご説法を聞く信者のように、目はきらきらと輝いていたであろう。しかし私にはお布施するための金がなかった。5000円の入会金と7000円の月謝が唯一の抜け道だった。「懐に余裕ができてからにしよう」とその日は結論づけ、洗脳から逃れた。

 神はそれでも、愚かな私を見捨てはしなかった。
 “入会金無料キャンペーン!今なら一カ月分月額が2980円!”というエニタイムフィットネスのチラシを見つけたのは、翌々日のことである。
 これを運命と言わずして何と言うのか。神が私の腹肉を憂いている。神が私にジムへ通えと告げている!

 幸い私は自立しているので、両親に「エニタイムフィットネスに通いたいんだ!エニタイムフィットネスならお得だしぼくも贅肉を落とせるんだ!」と相談する必要がないし、「あらあら、エニタイムフィットネスなら家計に負担も少ないわ……本当にエニタイムフィットネスなら続けられるの?」という質問が帰ってくる心配もなかった。私の決意だけがあればよかった。
 もはや嫌悪は消え失せていた。私の悪意で満ちていたパンドラの箱には、ジムにさえ通えば贅肉から解放される、という希望だけが残っていた。
 そして契約を済ませた瞬間、私はもう贅肉から解放されたつもりでいた。その先に必要な努力のことなんて、考えもしなかったのだ。

 余談だが、私は高校時代進研ゼミに挫折している。

 

2017.1.28 自宅にて

第一三共ヘルスケア 「トラフルダイレクト」 利用者のレビュー ★★★★★(5.0/5 27歳男性)

 もうすべてがつらいんです、と彼女は言った。

 

 三大欲とは性欲・食欲・睡眠欲と言われる。生存本能から生まれる三つの欲。それを満たすことで快感が生まれる。種の存続のために必要な快楽である。動物を形成する欲であり、動物の根本とも言えるだろう。

 口内炎は、食欲を阻害する、ひいては種の存続を阻害する疾病として、もっと問題視されるべきなのだ。口内炎になりにくい人間はたかがという枕詞で口内炎を表現し、口内炎に苦しむ私を嘲笑し、侮蔑し、ゴミを見るような目で見下してくるものだが(口内炎など関係なく私をゴミ扱いしているだけかもしれないが)、原始的欲求を阻害する疾病に苦しむ人間に対してその態度はないだろう。不眠症に悩む人間を笑えるか、EDに悩む人間を笑えるか。いや笑えるかもしれないが。

 それでもただの口内炎ならまだましだ、と今の私は思う。ただの口内炎はあくまでハードルみたいなもので、いたいけどおいしい、いたいけどおいしい、というように、食の喜びという圧倒的なゴールの前には霞む存在でしかない、と。舌裏の口内炎という苦しみを体験したあとでは。

 

 はじめは小さな違和感でしかなかった。コーヒーを口にしたときに、ちくりと痛みを伴ったのだ。また口内炎か、いや口内炎にしては痛みの位置がおかしい、と思いつつも、大して気にとめなかった。夕飯を食べている時にも少し痛みを伴ったので、口に神経を集中させ根源を探ってみたところ、どうやら舌の裏から来ているらしい、という結論に至った。鏡で見たところ、確かに舌裏の左側に白い小さな傷のようなものが見えたが、それでも私は口内炎であると信じなかった。口内炎の原因はさまざまであると言われてはいるが、私はどうしても“食物を咀嚼するときにうっかり一緒に唇の裏を噛みちぎる”以外の原因はぴんとこない。口内炎は傷というイメージが抜けないのだ。栄養不足で突然腕から出血したりするだろうか、いやするかもしれんがいまいち釈然としないだろう。だから、唇の裏以外に口内炎ができるなんて思いもしなかったのだ。まあほっとけば治る、と気楽に考えていた。

 しかし翌日には違和感がすでに確かな異変へと変化していた。口を開けた瞬間に、ざくりと口内を刺されたかのような痛みが走り、いたい、と声を出した瞬間に更なる激痛が駆け巡った。何が起きているのか理解できず、とりあえず口の中を潤そうと水を飲むと今度は痛みが口中に広がった。痛みが水に溶け、口の中を支配したような感覚。怒涛のごとく襲いかかる痛みの波に我を失いかけた。

 混乱した頭でとりあえず「口内炎 舌の裏 激痛」とグーグル検索していた。“もしかして舌癌かも!?”や“口内炎になる原因とは!?”なんていう記事はどうでもよくて、ただ“舌裏の口内炎は激痛!”という情報だけを求め、同じく苦しんでいる人々の言葉を読み、そしてようやく認めた、なぜか舌裏に口内炎ができ私を苦しめていると。口を閉じるといくらか落ち着くのだが、舌を動かすだけで痛みが襲いかかってくるので呼吸すらままならない。おのずと鼻呼吸に頼らざるを得なくなる。よく口呼吸により歯並びが悪くなるという話を聞くが、舌裏に口内炎を作るだけで解決である。動物が躾で鞭に打たれるように、口で呼吸するたびに罰を受けるのだ、あっというまに歯並びのいい鼻呼吸人間のできあがり。とっぴんぱらりのぷう。これが地獄か、いや地獄のほうがまだましだ、閻魔様が舌を抜いてくれればこの苦痛から逃れられるのだから、と私は思った。これ以上の苦痛はあるまい、と。

 しかし私はまだ甘かった。痛みがあっても腹は減る、腹が減ったらなんとやら、ととりあえず心を落ち着かせ昼飯を食べることにした。いまだかつてない痛みに思考能力が鈍っていたのだろう。少し考えれば分かることだった、口を開け空気を吸うだけで鈍い痛みを伴うのだ、いわんや異物が口に入った時をや!ぱくりと一口飯を口に放りこんだ瞬間、苦痛バロメーターの天井がゆうゆうとぶち壊れた。食物を口にすると激痛がおとずれ、口内に残った食べかすが鈍痛を生む。痛みの二重奏。それでも食欲が収まるわけではなく、なるべく舌の左側に当たらぬよう右奥歯で咀嚼するのだが、歯を動かすだけで自ずと舌の裏が擦れ、努力の甲斐なく激痛が襲いかかるのだ。痛覚が味覚を圧倒的に上回り、食物ではなく自分の舌を噛み砕いているようだった。

 食事が苦痛以外の何物でもない行為に変わり、おかげで夕飯はゼリー飲料のみとなった。そして私がいかに食に救われていたかを知った。睡眠欲や性欲に比べて食欲は手軽に満たすことができ、また質を高めるのもたやすい。なによりも幸福が即物的かつ持続する。食こそが私の生きる理由であった、と私は味気ないゼリーを飲みつつ思った。そして私は今、食こそが苦痛だ、つまり生きる理由をなくしている、と。

 

 翌日は朝からの出勤であった。激痛により睡眠がままならず、睡眠不足と痛みにより出勤前から疲れ切っていた。舌裏の口内炎は私の痛覚を休ませることなく、電車の揺れに合わせてずきんずきんと痛み、いらっしゃいませと言うたびまた痛み、一歩歩けばまた痛んだ。笑顔は歪み心は荒み、人格すら口内炎に支配されつつあった。

 ふだんなら仕事の唯一の楽しみである賄いすら、そのときの私にとっては苦痛でしかなかった。ふだん怒涛の勢いで飯を食らう私が、泣きそうな面持ちでとろとろと咀嚼している姿が奇怪に映ったのであろう。一緒に賄いを食べていた同僚が、どうしたんですか、と声をかけてきた。口内炎が痛いんです、ベロの裏に口内炎ができたんです、マジで半端ないんです、と呂律の回らぬ舌でたどたどしく説明すると、彼女はケタケタと笑った。

 「私も口内炎よくできますけどそんなんはマジないっすわー、ありえないっすわー、薬とかちゃんと使ってますか」

 口内炎ができにくい人間が慢性口内炎人間を見下すように、慢性口内炎人間内にもカーストがあるのだ、私は慢性口内炎人間カースト内でも下位へと落ちたのだ。目の前で大口を開けながら嘲う女にほのかな殺意を抱きつつ、答えた。

 「薬は一応塗ってるけど、逆に痛くなるんですよ、塗りにくいし」

 そうなのだ。「口内炎あるある!薬が塗りにくい!」と言えば、口内炎経験者はたいていうなずいてくれるだろう。口内炎の塗り薬は異常に粘度が高く、クリームというよりは泥に近い。それを患部に塗るのだが、指に薬がはりつき離れず、やむをえず患部に押し付け指を上下させることになる。もちろん患部を刺激するので痛みを伴う。さらにそんなふうに塗るものだからきちんと貼りつかず、唾液により患部からずれ痛みが増幅する。そうでなくても口内に泥に似たぬるぬるとした異物があると気になって仕方がない。唇の裏ですらそうだったのが、舌の裏となるとさらに大変で、患部の位置を特定するために鏡の前で両手で大口を開けて舌を上に向け、震える指でそろそろと塗らなければならず、そのアホ面を鏡で見ることもまた苦痛だった。さらに結局しっかりとは見えていないものだから患部にジャストヒットせず、結果的にアホ面で自ら口内炎を痛めつけただけの結果に終わったのだ。

 「塗るやつだからいけないんすよー。貼り薬いいですよ貼り薬、あんま気にならないしお勧めです、ちょっと待ってください調べます、えっと……これこれ」

 そう言って彼女がスマホの画面をこちらに見せた。そこで紹介されていたのが第一三共ヘルスケアの”トラフルダイレクト”であった。

 私はそのときまで貼り薬を忌避していた。「塗る」と「貼る」では似て非なる。どうしても絆創膏のようなイメージが抜けず、フィルムが口の中で溶けるというそのケミカルな響きがおそろしかった。化学物質はどうしても不健康なイメージがある。私は元来文系かつ頭が悪いので、具体的にどのような物質がどのように悪い、ということを何一つ調べたわけではないのだが、生理的な忌避というのは本能に訴えかけるぶん何よりも強い。しかしもはやそんなことを言っている場合ではなかった。食への渇望の前には、私の生理的嫌悪感やプライドなどクソ以下だ。小汚い親父に札束を差し出された女子高生みたいなものだ、圧倒的な餌の前ではひざまずくし股を開くし靴だって舐める。私は普段の三倍以上時間をかけて食事を終えたのち、すぐ薬局へ走った。

 トラフルダイレクトの見た目は絆創膏によく似ていたが、予想していたよりも大きくそして堅く、やはり口内に貼るのは抵抗があった。しかしつべこべ言っている場合ではない。鏡の前でアホ面を晒し、指先にその肌色の丸いシールを置き、そろそろと患部へ指を伸ばした。患部へシールを乗せたときまず私におとずれたのは、とても貼りやすい、という喜びだった。指からすっと離れるため苦労しないし、またシールの面積が広いため、多少のずれがあっても患部をカバーするのだ。おずおずと舌を動かしてみた。口内にシールが貼られている違和感は確かにあるが、思ったほど悪くはない。少なくとも泥に似た物質が口内にへばりついている不快感に比べれば。そして何より痛みが治まった。ちりちりとした痛みは残っているが、あの口を開けるたびに襲いかかってきた身を切るような激痛に比べればなんということはない。

 そして何よりも、食の快楽が私に帰ってきた。その日の夕飯はなんの変哲もない揚げ物だったが、痛みを伴わずに咀嚼ができるということは、いかに幸福なことであるか。味覚とはこんなに全身へ行き渡るものだったか。私はいま生きている、と実感することなどしばらくなかった。あまりの歓びに涙が出そうになった。

 

―――死にたいほどつらいことがあったら、舌裏に口内炎を作りなさい。二日も経てば、あなたは絶望にさらなる底があったことを知るでしょう。そしてトラフルダイレクトを貼って食事をしなさい。あなたにふつふつと、生きる希望が沸くでしょう。

 

 トラフルダイレクトは一日二回の用量と決められており、また十五分もすれば溶けてしまうため、一回で得られるのはあまりに短い静寂だ。しかしフィルムが溶けていくとともに痛みが帰ってくるとはいえ、貼る前よりも確かに落ち着いていることが実感でき、快方へ向かっているという安心感が得られるのだ。

 翌日の朝にはずいぶん楽になり、死の淵から蘇ったような心持ちで目覚めた。私はトラフルダイレクトと、トラフルダイレクトを教えてくれた彼女へ心の底から感謝せずにはいられず、近所の洋菓子屋で焼き菓子をいくつか適当にみつくろい、もう本当にありがとうございましたという礼とともに渡した。

 彼女は、なにもそこまでせんでもいいですよ、とまたケタケタと笑ったのだった。

 

 その彼女が、もうすべてがつらいんです、なんで私ばっかり、もうあのひとがいやだしあの上司がいやだし、とにかくぜんぶいやなんです、と言ったのは、つい先日のことである。私が舌裏の口内炎に苦しんでから、すでに半年以上経っていた。三日以内に二週間の休暇をください、無理ならばただちに辞職させてください、と彼女は泣きながら訴えた。

 本当は肩を叩いて「その気持ちすっごいわかるもうマジで心の底からわかる俺も辞めたい!」と言いたかったし、膝を崩しながら「この人員不足に陥る時期に唐突にそんなこと言わないでくれよどうしてもっと早く言わないんだよ」と泣き出したかったし、髪をかきむしりながら「なんで私ばっかりじゃねえよそれは俺のセリフだよ」と半狂乱になりたかった。けれど、私は茫然としつつ、わかった、という言葉以外吐くことができなかった。これを上司に伝えれば、迷うまでもなくただちに辞職させる流れになるだろう。来月からのシフトがえらいことになるな、と暗い気分に陥りながら私が考えたのは、トラフルダイレクトのことだった。

 よくくだらないことをともに話していたにも関わらず、彼女がそこまで思いつめていたことに気付かなかった私にも責任はあるだろうし、彼女と同じくらい私も仕事に苦痛を感じているであろうから同情はする、けれどもちょうど人員不足に陥る時期を見計らわれたという怒りと、あまりに唐突で叶うはずがないとわかっているであろう要望を提示されたことに対する苛立ちを禁じえず、相反する感情に揺れ動き混沌として、そこに結論を見出せそうになかった。

 だから、この子はトラフルダイレクトのことを教えてくれた、と思うことにしたのだ。私にとって舌裏の口内炎は、近年まれに見る生きる希望を失くしかねないほどの苦痛であり、彼女が苦痛から私を救った、だから私は彼女を許さねば、と。

 

 彼女が去って三週間が経ち、仕事の負担は予想通り増え、心は荒み身体はきしみ、そして唇の裏には口内炎が二つできた。すでに常備薬となったトラフルダイレクトを患部に貼るとき、否応なしに彼女を思った。

 君はそんなに如何ともしがたいほどすべてがつらかったのか。くだらない話をしているときも、お客様から頂いたお菓子を嬉しそうに選んでいるときも、上司の愚痴を言い合いながらケタケタと笑っていたときもすべて。

 私は彼女を恨まないことに決めたから、心の奥底に残っているのは悲しみだけだ。

 私は口内炎ができにくい体質にはなれないし、だからきっと一生彼女のことを忘れられない。

 

2016年2月20日、職場にて

季節はとつぜんにすぎさり

 ああもう冬かあ、いやまだ冬やないやろ、いくらなんでもまだ秋やろ、という薄ら寒い一人ノリツッコミを、もう何年くりかえしただろうか。
 今年もサッポロビールより冬物語が発売された。例年に違わず、まだ10月だというのに。毎年、このビールを見つけるたびに、つまらない漫才師になったような気分にさせられる。

 季節の変わり目はとてもながい。たとえば6月、涼しさと蒸し暑さが交互にやってくるころに、ああ季節の変わり目だなあ、とおもうのだけれど、ああ夏だなあ、と思うのは7月も終わりにさしかかったころである。そしていまは10月、まだ夏の名残を捨てきれず、夏か秋かと迷いあぐねているうちに冬物語の襲来だ。夏か秋か冬か。晩夏であり初秋でありながら晩秋の初冬か。タイムパラドックスってこういうのをいうんじゃないのか。春夏秋冬よりも、その合間のほうがよっぽど長くて、むりやり世間から提示される季節の主張に戸惑わずにはいられない。
 まず、独り者の行動原理にあまり季節というのは関係していないのである。もちろん桜餅もスイカもサンマも寒ブリも食うけども(この四つは個人的好みによるものなので放っておいてほしい)季節感に浸ることなんてそうそうなくて、ただ世間から与えられる情報で季節を四分しているだけなのである。つまり、冬物語を飲みながら、いまを冬ではないと否定する理由なんてほんとうはなにひとつないのだ。ただ、私は自らから季節が失われるのが恐ろしいのだと思う。当たり前のように10月に冬物語を飲み、「ああもう冬かあ」なんて言い出したら人間おしまいなような気がするのだ。具体的になにがおしまいなのかはわからないが、日本人が幼少から植えつけられた風流的ななにか、生存権のひとつである文化的な生活にかかわるなにかがおしまいなのだとおもう。冬物語の発売は我々に人間とはなにかを問いかけているのではなかろうか。なにひとつ冬らしい味わいが感じられない(ただ私が貧乏舌なだけかもしれないが)ところも、この主張を裏付けているとはいえないか。 
 必死になって冬を否定したところで、電気代節約のためエアコンの付いていない部屋で毛布をかぶり冬物語を飲みながら「いいやまだ冬ではないやん」と必死に一人ノリツッコミをしている老いた自らの未来を想像し、違う憂鬱は訪れるのだけれど。
 結局のところ、「ああもう冬かあ」と一言言ったら「いやまだ冬ではないやろ」と突っ込んでくれる友人もしくは恋人ねがわくば伴侶が横にいなければ世界なんてそうそう変わらないもので、それでも季節を主張することで最低限文化的な生活を送れていると自らを慰め続けなければ自我を保てなくて、どちらにしろサッポロビール株式会社が我々の心を蝕むために冬物語の発売を10月にしていることは間違いないと思うので、もし生まれ変わってもう少し神経が太くなったら爆破予告とか、どくいり きけん のんだら しぬで 的なアレとかしたいとおもう。私が輪廻転生を迎えるまでに、サッポロビール冬物語の発売日を再考してくれることを願うのみである。

2014年10月7日 自宅にて

ビールとビールもどき

 私にとってはビールではなかった。しかし、私にとってこそビールであった。
 
 田村正和は傲慢だなあ、とずっと思っていたのだ。あのCMに出ているすべての俳優女優に対して思っていたのだ。「私にはビールです」と彼らが日本全国に向けて恥ずかしげもなくほざけるのは、ビールもどきの需要はそこにはない、という考えなど露ほども持ち合わせていないこの上ない証明である。
 私にとってそれはビールではない。今も昔もビールではない。ビールの正確な定義など分からない、調べるつもりもない、ただ、私にとってそれはビールではないのだ。最後にもう一度。私にとってビールではないのだ!

 大学時代、遊ぶ金に困り食う金に困り、発泡酒を飲みながら私は考えていた。
 いつか、ビールもどきなんて飲まないで、ちゃんと毎日ビールを飲める大人になろう、と。
 モラトリアムまっさかり、青臭く汗臭く泥臭い学生時代、それでも大人に対する憧れというのはもちろんあった。その具体的なイメージがビールに向かうところに想像力の欠陥と貧乏臭さが見え隠れしていて嫌になるが、それでも浮かぶ憧憬はこの上なく幸福であった。エビスとかプレミアムモルツとかたまに飲んで悦に入ったりして自分へのご褒美いやっほお!なんて一人叫んでいた。いや、ほんとうに幸福であったと心より思う。
 未来の自分は、冷蔵庫に毎日ビールをストックしているものだと信じて疑わなかった。
 あのころ、ほんの数年前には、何年かあとにはちゃんとしたビールを毎日飲もう、と考えていた。あれは何年前だったかもそのとき何年あとに考えていたのかももう思い出せない(ちょっとびっくりするぐらいの悪文だけれどもこれ以上に私のあのころの感情を記す術がない)。
 いつからだろうか。私にとってビールは贅沢品となってしまった。憧憬の対象と贅沢品とでは、似て非なる、あまりにも。贅沢品は贅沢でありながらも心を焦がさず、それでいて手が届かない自らの心を焼く。いつからかモラトリアムはルサンチマンへと形を変えていた。私はスーパーで麦とホップ6缶入りを手に取るときだけ心が死んでいた。お客様に怒鳴られているときも、仕事をしない上司を見ているときも、ありえないくらいのミスをしでかしたときもはっきりと意識があるのに、麦とホップを持ちながら歩く帰路の記憶だけがぼんやりとしていたのだ。被害妄想を募らせていくと、きっとどこまでもいける。私の人生は麦とホップだ。表面上はたしかにビール然として整っているように見える、だから人はこう言ってくれるのだ、「あなたはビールだよ」と、でもほんとうはビールではないことなんて自分がいちばんわかっているのだ、周りの人もわかっているのだ、それでありながら侮蔑と同情と表面上の賞賛をもってビールなんていうのだ。みんなしんでしまえ!閑話休題。とにもかくにも、ビールもどきをビールと認めた時に、私のなかの何かが死ぬ。同時に新しい自我が生まれるのだろう、それもまた幸福であろう、それでも私はまだ私でいたいのだ。
 しかし、こんなプライドだのアイデンティディだのしゃらくせえもんがいったい何になるというのだろう。私は嘘をつきつづけていた。あまりにもちっぽけな己を守るために。ほんとうはずっと分かっていたのだ。
 
 仕事から疲れて帰ってきて、金もなくてふらふらで冷蔵庫を開けた時に、キンキンに冷えた麦とホップを見つけたとき。プルトップを開けた瞬間のあの音。そしてからからに乾いた喉に黄金色の液体を滑らせる瞬間。
 私にとって、確かにそれはビールであったのだから。

 私には、(そう考えないといろいろとやりきれないから)ビールです。
 私には、(そう考えることでいろいろとやりきれるから)ビールなのです、
 でも、私が私でいるために、(たとえ本物だとおもいこむことが幸福であろうとも)ビールではないのです。

 画面に映る彼らの言葉にはこの感傷がない。てめえらにビールの何が語れるっつうねん、なあ、てめえらはロッキングチェアに座りながらギネスでも飲んでいればいいじゃん。 
 電車のモニターで田村正和がCMを降ろされたことを知った時、言いようのない焦燥感寂寥感と開放感が心を支配した。そして同時に、私は今まで麦とホップへの感情をいかに押さえつけていたのかを痛感した。たぶんほんとうはもっとまえから知っていた、仲間由紀恵が降ろされた時分くらいには。でもようやく、その感情は私の心のなかで花開いてしまったのだ。
 だから、もうやめよう、と思った。飲む量を半分にすればビールだって買える。そうだ、私はビールでないものをあえてビールではないと否定する必要などどこにもないのだ、と。

 帰りに西友に立ち寄った際、私はビール、ビール、と念じていた。たぶんいくらか口から漏れていたし、目は据わっていたとおもう。それでも構わなかった。夢を叶えるためには犠牲なんていくら払っても足りないくらいなのだから。
 ビールを求めアルコール売り場に立ち寄った私の目を奪ったのはしかし、エビスでもアサヒドライでももちろん安売りの麦とホップでもなく、6本630円という破格の値段で売られていた韓国ビールであった。
 それは紛れも無くビールであった。何度も確かめたが、確かに「発泡酒」でも「リキュール(発泡性)」でもなく、「生ビール」と表記されていた。私が呪縛から逃げ出そうと、憧憬を形にしようと決意したその日に、ビールもどきよりも安い本物がそこにはあった。

 私は帰路につきながら考えた。これは勝ちなのか負けなのか。単純に考えれば勝ちだ。なのになぜ複雑に考えたら負けのような気がするんだろう。金欠に打ち勝てるものなどあるのだろうか。それはもちろんあるに決まっている。そんなことは分かっている。しかし、私は自らがかわいく、いとおしい。そしてあまりにも哀れだからこそ、自らを愛さずにはいられないのだ。なぜ自らを愛するためには金がいるのだろう。夢を叶えたはずの私にのしかかったのは、結局どうしようもないルサンチマンであった。

 1本105円の韓国ビールはそれなりに美味しかった。私はもう西友麦とホップを買うことはないだろう、なぜならビールではないから。これが正しいはずだ。たぶん、自己啓発本(読んだことはないが)とかには、こういう成功のための正しい取捨選択とか書いているはずなんだ。

 それなのに、なぜこんなにも胸が苦しいのだろう。

2014年3月9日、自宅にて

丸い鯛焼きのはなし

 鯛焼きには尻尾まで餡子が詰まっていたほうがいい、当然であろう。尻尾に餡子が詰まっていないほうが好きな人なぞいるのだろうか。いや、餡子が不得意ならばそれもありうるだろうが、そういう人々は鯛焼き自体があまり好きではないだろう。私は鯛焼きを愛する人についての話をしているのだ。なぜ尻尾に餡子が詰まっていない鯛焼きがこの世に存在するのか。もしかしてこれが必要悪というやつなのか。
 とにもかくにも、丸い鯛焼きである。昼間、私は行きつけにしている喫茶店にてランチセットとビールを胃袋に詰め、すっかりいい気分であった。満腹になると甘味を欲すのは人間の性である。私は喫茶店に貼られている「今週のデザート」に目を向けた。

 コーヒーゼリー(ラムレーズンクリーム)

 私は落胆した。甘味とは麻薬のようなものである。心を豊かにする反面、カロリーという副作用が伴うのである。よって、一日に摂取できる量は自ずと限られてくるのだ。失敗は許されない。つまるところ、私はコーヒーゼリーラムレーズンクリームの味の想像がまったく出来なかったのだ。高カロリーっぽい響きだなあ、と漠然とした感想しか湧いてこなかったのだ。高カロリーかつ不味いなんてことも十二分に有り得るのだ。金をかけて全身整形を施したブスみたいなものだ。やむを得ず不戦敗を申し出た私は、支払いを済ませ寒空の下に戻るほかなかった。ほろ酔いの幸福も吹き飛んでいた。
 世界中に裏切られたような気分であてどなく駅前をぶらついていたところで、「たいやき」の幟を見つけたのである。
 たいやきか、たいやきなのか、そういう気分ではないのだが、しかし失敗がないのが餡子もののいいところである、と自らを鼓舞しながら店先へと向かった。
 しかしそこに売られていたのは、円形に矯正された哀れな鯛であった。
 円形て。円形てあんた。すげえ海老腰だよこの鯛、泳げなさそうだなあ、おじさんに釣りあげられる前に溺れ死ぬわ。私は動揺を隠せないまま、しかし欲望には勝てず、「小倉ひとつ」とおばちゃんへ告げていた。おばちゃんは私の動揺に気づくことなく、焼きたての鯛焼きを私へと寄越した。
 ていうか今川焼きとの違いはなんやねん。鯛の形してればいいってか(正確には鯛の形はしていないが)。私は次々と溢れ出る疑問にとりあえず蓋をして、その鯛焼きと呼ぶにはおこがましいなにかに噛り付いた。生地の焼けた香りが鼻腔を支配し、餡子の控えめな甘みが口中に広がる。あたたかい。あまい。パリパリしている。ああなるほど、パリパリしているのが鯛焼きでフワフワしているのが今川焼か、でもフワフワしている鯛焼きも食べた記憶があるなあ、しかしパリパリしている今川焼は食べたことないから案外正解なのではないか。インターネットで検索すればおそらく正確な答はすぐに出てくるのであろうが、私は自らで辿り着いたその定義に満足した。子供が経験を通して成長していくのに似ていた。そこには正解不正解は必要ないのである。
 あまりの恍惚にすっかり機嫌を直した私は、鯛焼きを齧りながら商店街を歩くこととした。雑貨屋の店先に、蛙の形をした木の屑籠が売られていた。これはいい、と値札を覗くと、2625と表示されていた。以前普通の木の屑籠を525円で購入したということは、この蛙の形という付加価値が2100円ということである。お前にそこまでの価値があるのか、ないだろうがこの間抜け面、と心の中で暴言を吐きつつ、鯛焼きを齧りながらまた歩き出した。
 だんだんと減っていく鯛の体と反比例に、心中の不安が増大していく。温もりも甘味も限られているんだなあ、だから大切にしなきゃいけないんだなあ、と妙な人生観すら芽生えてくる始末だ。
 最後の一口を食べ終えた瞬間、とてつもない寂寥感(口さみしさともいう)が私を襲った。街中なので煙草を吸うわけにもいかぬ。口腔内に残る甘みを私は舌で必死で追ったが、無駄な抵抗であった。
 さようなら、ありがとう鯛焼きくん。また会う日まで。君が円形だったおかげで、私は大切なものを得ることが出来たよ。私は別れを惜しみ謝辞を心の中で述べ、また歩き出した。前に進みながらも、丸い鯛焼きのことは頭から離れることはなかった。新鮮なフォルム、今川焼と鯛焼きの相違、甘味が私に及ぼす影響。ここまで鯛焼きのことを考えたことが今まであっただろうか、いやない。素晴らしい体験をした、と結論づけたところで、私はふと気付いた。
 今日、丸い鯛焼きによって得られたこの新しい知識と経験と感動は、2100円分くらいの価値があるのではないだろうか? 私は今、2100円分くらいの余裕があるのではないか?

 蛙の屑籠を小脇に抱えながら電車に揺られ、職場へと向かった。この蛙の口に紙くずを投げいれる遊びなんか案外楽しいのではないか、それはそれで2100円くらいの面白ゲームなんじゃないか、と私は想像をめぐらせ、自らの決断を正当化した。まあともかく、存外にもいい一日であった。


2012年12月5日、高円寺にて

でんきあんかとわたし

 別れの季節だ。

 冷え性の辛さは冷え性にしかわかるまい。手足が冷える、という一言では片付けられない闇があるのだ。いくら厚着をしても、手足だけが水に漬かっているような冷たさ。靴下を履いても手袋をつけてもおさまるものではない、内側から冷えているのだから。エアコンをがんがん利かせた部屋のなかで、体中をかけめぐる寒気。手足を伸ばして眠ることなど出来ないのだ、足が身体から遠ざかっていくほど体温が下がっていくのだ、冷え性の辛さを知らない人間は寒さについて語るべきではないと常々思っているのだ。

 年末に帰省した私は、母にこの悩みを打ち明けた。妙齢の男が老齢の母に振る話題ではないということを重々承知で。
「おかあさんがいつも寝る時に使ってるやつ買えばいいじゃない。安いし」
「ああ、でんきあんま?あれってどうなの」
「あれはいいよ、夜通し付けてても大した電気代にもならないし、電気屋で1000円もしないで売ってるでしょう、買ってきなさいよ」
 いままで考えたこともなかった解決法が私の前に提示された。いままで考えたことがなかったので、ずっとでんきあんま、でんきあんまと言っていたのだった。脳が腐っているのだと思う。電気屋にて「電気アンカ」という表記を見た時には本気で死のうかと思った。
 とにもかくにも、電気あんかを買い東京へと戻ってきたのだった。母の言うとおり電気あんかは非常に安価であった(うまいこと言った)。しかしながら、封を開けコンセントを挿し、「強」にセットして足を乗せてみてもいまいち温かみを感じられず、落胆を禁じえなかった。しょせんこんなもんか、あまりに安かったから思わずちょっとよさげな「岩盤欲効果付(\1280)」を買ってしまったというのに、と。この落胆に関して、私は電気あんかに土下座しても足りないくらい謝りたい。彼(敬意をこめて彼と呼ばせていただく)のポテンシャルを、私はまったく理解していなかったのだから。
 Uターンラッシュにちょうどぶつかったこともあり、私はその日疲れきっていたのでさっさと床につくことにした。布団を敷き、鼻で笑いながら電気あんかを足元へとセットし、いそいそと眠る体勢になった。布団の中でぐっと伸びをし、足が電気あんかに触れた瞬間、私の体に衝撃が走った。漏電していたわけではない。あたたかかったのだ。控えめな温もりは、一夜を共にしても朝には邪険にされることがないように考え出された、絶妙な温度であったのか。両足をおずおずと電気あんかへと乗せた。あたたかい。あたたかい。あたたかい!冷え性が体を支配する季節、私は毎日布団の中で泣く子供のような体勢で眠っていた。足が体温を失わないように、足が私の一部であることを忘れないように。おかげで朝はいつも節々が痛かった。しかしこの日の私は違った。ぴんと足を伸ばし、電気あんかがくれるぬくもりを満喫した。生物にとって眠りとは常に幸福であるはずだが、しかし私は冬の間幸福を享受しきれていなかった、いままでは。しかし、これからは違う。その喜びに打ち震えた。電気あんかは私にとっての光であったのだ。
 思えばいままで、様々な電化製品に触れてきた。エアコン、テレビ、冷蔵庫はもちろん、いまこの文章を打ち込んでいるパソコン、お年玉を貯めて買ったコンポ、入学祝いに祖母が購入してくれた電子ピアノ、就職祝いに自分で買ったiPod。髭剃り、炊飯器、毛玉取り、ホットプレート。私はそれらの恩恵を当たり前のように受け取っていた。しかし電気あんかは違った。1000円余りでここまでの幸福をただ頂くわけにいかない、という、どこか悟りにも似た感情を私に与えた。
 私はグーグルで「電気あんか 発明者」と検索したが答えは出てこなかった。ウィキペディアに対して、役に立たねえなあこいつ、と思ったのははじめてだった。湯たんぽから派生したものだというのはわかるのだけれど、湯を沸かすというひと手間がないぶん私にはその二つに大きな隔たりがあるように思えてならず、だからどうしても電気あんかの発明者が知りたかったのだ。彼もしくは彼女にお礼の手紙を書きたかったのだ。あなたによって救われました、という、ビジュアルバンドの狂信者が書きそうな手紙になりそうではあったが。
 結局発明者を見つけることは出来なかったけれど、それならば電気あんかで得た幸福を社会に還元したい、と思った。私はエアコンをつける時間をなるべく減らし、在宅時にはなるべく電気あんかに足を置いたまま生活した。エコというやつだ。おかげでコンタクトレンズを外すために立ち上がることすら億劫になった。電気あんかに足を置きながらビールを飲みコンタクトを装着したまま寝床につく私ははたから見れば完全なる自堕落だったであろうが、社会への奉仕とはえてして自己満足に見えるものだろう。

 昨日、同僚と飲みふけり、ふらふらで帰宅した私は、敷いたままの布団に倒れこみ、そのまま眠る体勢についた。ぴんと足を伸ばして、ふと、そこにぬくもりがないことに気付いた。それはただ電気あんかのコンセントを挿し忘れていただけであったのだが、しかし私はさらに恐ろしいことに気付いてしまった。つめたくない。つめたくないのだ。春が来ていたのだった。足はすでに電気あんかのぬくもりがなくても体温を失わない強さを得ていた。望むべくであったはずなのに、私の心に隙間が生まれた。電気あんかは、冬の睡眠の苦痛を取り除くだけでなく、私を幸福にしすぎたのだ。春眠に喪失感を孕ませるほどに。私は電気あんかから卒業しなければならないのか。これほどまでに私に奉仕してくれたというのに。自分でも馬鹿げていると思うが、その別れは毎年あれほど待ち望んでいた春の喜びを吹き飛ばした。光を失った私の前には、ただ闇があった。

 「強」の文字は掠れ、薄汚れてしまった電気あんかを本日クローゼットへ仕舞った。冬がすでに待ち遠しい。
 炬燵を買うのはやめようと思う。


2014年1月6日-3月16日 自宅にて