dan-matsu-ma

イアラー!

でんきあんかとわたし

 別れの季節だ。

 冷え性の辛さは冷え性にしかわかるまい。手足が冷える、という一言では片付けられない闇があるのだ。いくら厚着をしても、手足だけが水に漬かっているような冷たさ。靴下を履いても手袋をつけてもおさまるものではない、内側から冷えているのだから。エアコンをがんがん利かせた部屋のなかで、体中をかけめぐる寒気。手足を伸ばして眠ることなど出来ないのだ、足が身体から遠ざかっていくほど体温が下がっていくのだ、冷え性の辛さを知らない人間は寒さについて語るべきではないと常々思っているのだ。

 年末に帰省した私は、母にこの悩みを打ち明けた。妙齢の男が老齢の母に振る話題ではないということを重々承知で。
「おかあさんがいつも寝る時に使ってるやつ買えばいいじゃない。安いし」
「ああ、でんきあんま?あれってどうなの」
「あれはいいよ、夜通し付けてても大した電気代にもならないし、電気屋で1000円もしないで売ってるでしょう、買ってきなさいよ」
 いままで考えたこともなかった解決法が私の前に提示された。いままで考えたことがなかったので、ずっとでんきあんま、でんきあんまと言っていたのだった。脳が腐っているのだと思う。電気屋にて「電気アンカ」という表記を見た時には本気で死のうかと思った。
 とにもかくにも、電気あんかを買い東京へと戻ってきたのだった。母の言うとおり電気あんかは非常に安価であった(うまいこと言った)。しかしながら、封を開けコンセントを挿し、「強」にセットして足を乗せてみてもいまいち温かみを感じられず、落胆を禁じえなかった。しょせんこんなもんか、あまりに安かったから思わずちょっとよさげな「岩盤欲効果付(\1280)」を買ってしまったというのに、と。この落胆に関して、私は電気あんかに土下座しても足りないくらい謝りたい。彼(敬意をこめて彼と呼ばせていただく)のポテンシャルを、私はまったく理解していなかったのだから。
 Uターンラッシュにちょうどぶつかったこともあり、私はその日疲れきっていたのでさっさと床につくことにした。布団を敷き、鼻で笑いながら電気あんかを足元へとセットし、いそいそと眠る体勢になった。布団の中でぐっと伸びをし、足が電気あんかに触れた瞬間、私の体に衝撃が走った。漏電していたわけではない。あたたかかったのだ。控えめな温もりは、一夜を共にしても朝には邪険にされることがないように考え出された、絶妙な温度であったのか。両足をおずおずと電気あんかへと乗せた。あたたかい。あたたかい。あたたかい!冷え性が体を支配する季節、私は毎日布団の中で泣く子供のような体勢で眠っていた。足が体温を失わないように、足が私の一部であることを忘れないように。おかげで朝はいつも節々が痛かった。しかしこの日の私は違った。ぴんと足を伸ばし、電気あんかがくれるぬくもりを満喫した。生物にとって眠りとは常に幸福であるはずだが、しかし私は冬の間幸福を享受しきれていなかった、いままでは。しかし、これからは違う。その喜びに打ち震えた。電気あんかは私にとっての光であったのだ。
 思えばいままで、様々な電化製品に触れてきた。エアコン、テレビ、冷蔵庫はもちろん、いまこの文章を打ち込んでいるパソコン、お年玉を貯めて買ったコンポ、入学祝いに祖母が購入してくれた電子ピアノ、就職祝いに自分で買ったiPod。髭剃り、炊飯器、毛玉取り、ホットプレート。私はそれらの恩恵を当たり前のように受け取っていた。しかし電気あんかは違った。1000円余りでここまでの幸福をただ頂くわけにいかない、という、どこか悟りにも似た感情を私に与えた。
 私はグーグルで「電気あんか 発明者」と検索したが答えは出てこなかった。ウィキペディアに対して、役に立たねえなあこいつ、と思ったのははじめてだった。湯たんぽから派生したものだというのはわかるのだけれど、湯を沸かすというひと手間がないぶん私にはその二つに大きな隔たりがあるように思えてならず、だからどうしても電気あんかの発明者が知りたかったのだ。彼もしくは彼女にお礼の手紙を書きたかったのだ。あなたによって救われました、という、ビジュアルバンドの狂信者が書きそうな手紙になりそうではあったが。
 結局発明者を見つけることは出来なかったけれど、それならば電気あんかで得た幸福を社会に還元したい、と思った。私はエアコンをつける時間をなるべく減らし、在宅時にはなるべく電気あんかに足を置いたまま生活した。エコというやつだ。おかげでコンタクトレンズを外すために立ち上がることすら億劫になった。電気あんかに足を置きながらビールを飲みコンタクトを装着したまま寝床につく私ははたから見れば完全なる自堕落だったであろうが、社会への奉仕とはえてして自己満足に見えるものだろう。

 昨日、同僚と飲みふけり、ふらふらで帰宅した私は、敷いたままの布団に倒れこみ、そのまま眠る体勢についた。ぴんと足を伸ばして、ふと、そこにぬくもりがないことに気付いた。それはただ電気あんかのコンセントを挿し忘れていただけであったのだが、しかし私はさらに恐ろしいことに気付いてしまった。つめたくない。つめたくないのだ。春が来ていたのだった。足はすでに電気あんかのぬくもりがなくても体温を失わない強さを得ていた。望むべくであったはずなのに、私の心に隙間が生まれた。電気あんかは、冬の睡眠の苦痛を取り除くだけでなく、私を幸福にしすぎたのだ。春眠に喪失感を孕ませるほどに。私は電気あんかから卒業しなければならないのか。これほどまでに私に奉仕してくれたというのに。自分でも馬鹿げていると思うが、その別れは毎年あれほど待ち望んでいた春の喜びを吹き飛ばした。光を失った私の前には、ただ闇があった。

 「強」の文字は掠れ、薄汚れてしまった電気あんかを本日クローゼットへ仕舞った。冬がすでに待ち遠しい。
 炬燵を買うのはやめようと思う。


2014年1月6日-3月16日 自宅にて