読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

dan-matsu-ma

イアラー!

丸い鯛焼きのはなし

 鯛焼きには尻尾まで餡子が詰まっていたほうがいい、当然であろう。尻尾に餡子が詰まっていないほうが好きな人なぞいるのだろうか。いや、餡子が不得意ならばそれもありうるだろうが、そういう人々は鯛焼き自体があまり好きではないだろう。私は鯛焼きを愛する人についての話をしているのだ。なぜ尻尾に餡子が詰まっていない鯛焼きがこの世に存在するのか。もしかしてこれが必要悪というやつなのか。
 とにもかくにも、丸い鯛焼きである。昼間、私は行きつけにしている喫茶店にてランチセットとビールを胃袋に詰め、すっかりいい気分であった。満腹になると甘味を欲すのは人間の性である。私は喫茶店に貼られている「今週のデザート」に目を向けた。

 コーヒーゼリー(ラムレーズンクリーム)

 私は落胆した。甘味とは麻薬のようなものである。心を豊かにする反面、カロリーという副作用が伴うのである。よって、一日に摂取できる量は自ずと限られてくるのだ。失敗は許されない。つまるところ、私はコーヒーゼリーラムレーズンクリームの味の想像がまったく出来なかったのだ。高カロリーっぽい響きだなあ、と漠然とした感想しか湧いてこなかったのだ。高カロリーかつ不味いなんてことも十二分に有り得るのだ。金をかけて全身整形を施したブスみたいなものだ。やむを得ず不戦敗を申し出た私は、支払いを済ませ寒空の下に戻るほかなかった。ほろ酔いの幸福も吹き飛んでいた。
 世界中に裏切られたような気分であてどなく駅前をぶらついていたところで、「たいやき」の幟を見つけたのである。
 たいやきか、たいやきなのか、そういう気分ではないのだが、しかし失敗がないのが餡子もののいいところである、と自らを鼓舞しながら店先へと向かった。
 しかしそこに売られていたのは、円形に矯正された哀れな鯛であった。
 円形て。円形てあんた。すげえ海老腰だよこの鯛、泳げなさそうだなあ、おじさんに釣りあげられる前に溺れ死ぬわ。私は動揺を隠せないまま、しかし欲望には勝てず、「小倉ひとつ」とおばちゃんへ告げていた。おばちゃんは私の動揺に気づくことなく、焼きたての鯛焼きを私へと寄越した。
 ていうか今川焼きとの違いはなんやねん。鯛の形してればいいってか(正確には鯛の形はしていないが)。私は次々と溢れ出る疑問にとりあえず蓋をして、その鯛焼きと呼ぶにはおこがましいなにかに噛り付いた。生地の焼けた香りが鼻腔を支配し、餡子の控えめな甘みが口中に広がる。あたたかい。あまい。パリパリしている。ああなるほど、パリパリしているのが鯛焼きでフワフワしているのが今川焼か、でもフワフワしている鯛焼きも食べた記憶があるなあ、しかしパリパリしている今川焼は食べたことないから案外正解なのではないか。インターネットで検索すればおそらく正確な答はすぐに出てくるのであろうが、私は自らで辿り着いたその定義に満足した。子供が経験を通して成長していくのに似ていた。そこには正解不正解は必要ないのである。
 あまりの恍惚にすっかり機嫌を直した私は、鯛焼きを齧りながら商店街を歩くこととした。雑貨屋の店先に、蛙の形をした木の屑籠が売られていた。これはいい、と値札を覗くと、2625と表示されていた。以前普通の木の屑籠を525円で購入したということは、この蛙の形という付加価値が2100円ということである。お前にそこまでの価値があるのか、ないだろうがこの間抜け面、と心の中で暴言を吐きつつ、鯛焼きを齧りながらまた歩き出した。
 だんだんと減っていく鯛の体と反比例に、心中の不安が増大していく。温もりも甘味も限られているんだなあ、だから大切にしなきゃいけないんだなあ、と妙な人生観すら芽生えてくる始末だ。
 最後の一口を食べ終えた瞬間、とてつもない寂寥感(口さみしさともいう)が私を襲った。街中なので煙草を吸うわけにもいかぬ。口腔内に残る甘みを私は舌で必死で追ったが、無駄な抵抗であった。
 さようなら、ありがとう鯛焼きくん。また会う日まで。君が円形だったおかげで、私は大切なものを得ることが出来たよ。私は別れを惜しみ謝辞を心の中で述べ、また歩き出した。前に進みながらも、丸い鯛焼きのことは頭から離れることはなかった。新鮮なフォルム、今川焼と鯛焼きの相違、甘味が私に及ぼす影響。ここまで鯛焼きのことを考えたことが今まであっただろうか、いやない。素晴らしい体験をした、と結論づけたところで、私はふと気付いた。
 今日、丸い鯛焼きによって得られたこの新しい知識と経験と感動は、2100円分くらいの価値があるのではないだろうか? 私は今、2100円分くらいの余裕があるのではないか?

 蛙の屑籠を小脇に抱えながら電車に揺られ、職場へと向かった。この蛙の口に紙くずを投げいれる遊びなんか案外楽しいのではないか、それはそれで2100円くらいの面白ゲームなんじゃないか、と私は想像をめぐらせ、自らの決断を正当化した。まあともかく、存外にもいい一日であった。


2012年12月5日、高円寺にて