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イアラー!

第一三共ヘルスケア 「トラフルダイレクト」 利用者のレビュー ★★★★★(5.0/5 27歳男性)

 もうすべてがつらいんです、と彼女は言った。

 三大欲とは性欲・食欲・睡眠欲と言われる。生存本能から生まれる三つの欲。それを満たすことで快感が生まれる。種の存続のために必要な快楽である。動物を形成する欲であり、動物の根本とも言えるだろう。

 口内炎は、食欲を阻害する、ひいては種の存続を阻害する疾病として、もっと問題視されるべきなのだ。口内炎になりにくい人間はたかがという枕詞で口内炎を表現し、口内炎に苦しむ私を嘲笑し、侮蔑し、ゴミを見るような目で見下してくるものだが(口内炎など関係なく私をゴミ扱いしているだけかもしれないが)、原始的欲求を阻害する疾病に苦しむ人間に対してその態度はないだろう。不眠症に悩む人間を笑えるか、EDに悩む人間を笑えるか。いや笑えるかもしれないが。

 それでもただの口内炎ならまだましだ、と今の私は思う。ただの口内炎はあくまでハードルみたいなもので、いたいけどおいしい、いたいけどおいしい、というように、食の喜びという圧倒的なゴールの前には霞む存在でしかない、と。舌裏の口内炎という苦しみを体験したあとでは。

 

 はじめは小さな違和感でしかなかった。コーヒーを口にしたときに、ちくりと痛みを伴ったのだ。また口内炎か、いや口内炎にしては痛みの位置がおかしい、と思いつつも、大して気にとめなかった。夕飯を食べている時にも少し痛みを伴ったので、口に神経を集中させ根源を探ってみたところ、どうやら舌の裏から来ているらしい、という結論に至った。鏡で見たところ、確かに舌裏の左側に白い小さな傷のようなものが見えたが、それでも私は口内炎であると信じなかった。口内炎の原因はさまざまであると言われてはいるが、私はどうしても“食物を咀嚼するときにうっかり一緒に唇の裏を噛みちぎる”以外の原因はぴんとこない。口内炎は傷というイメージが抜けないのだ。栄養不足で突然腕から出血したりするだろうか、いやするかもしれんがいまいち釈然としないだろう。だから、唇の裏以外に口内炎ができるなんて思いもしなかったのだ。まあほっとけば治る、と気楽に考えていた。

 しかし翌日には違和感がすでに確かな異変へと変化していた。口を開けた瞬間に、ざくりと口内を刺されたかのような痛みが走り、いたい、と声を出した瞬間に更なる激痛が駆け巡った。何が起きているのか理解できず、とりあえず口の中を潤そうと水を飲むと今度は痛みが口中に広がった。痛みが水に溶け、口の中を支配したような感覚。怒涛のごとく襲いかかる痛みの波に我を失いかけた。

 混乱した頭でとりあえず「口内炎 舌の裏 激痛」とグーグル検索していた。“もしかして舌癌かも!?”や“口内炎になる原因とは!?”なんていう記事はどうでもよくて、ただ“舌裏の口内炎は激痛!”という情報だけを求め、同じく苦しんでいる人々の言葉を読み、そしてようやく認めた、なぜか舌裏に口内炎ができ私を苦しめていると。口を閉じるといくらか落ち着くのだが、舌を動かすだけで痛みが襲いかかってくるので呼吸すらままならない。おのずと鼻呼吸に頼らざるを得なくなる。よく口呼吸により歯並びが悪くなるという話を聞くが、舌裏に口内炎を作るだけで解決である。動物が躾で鞭に打たれるように、口で呼吸するたびに罰を受けるのだ、あっというまに歯並びのいい鼻呼吸人間のできあがり。とっぴんぱらりのぷう。これが地獄か、いや地獄のほうがまだましだ、閻魔様が舌を抜いてくれればこの苦痛から逃れられるのだから、と私は思った。これ以上の苦痛はあるまい、と。

 しかし私はまだ甘かった。痛みがあっても腹は減る、腹が減ったらなんとやら、ととりあえず心を落ち着かせ昼飯を食べることにした。いまだかつてない痛みに思考能力が鈍っていたのだろう。少し考えれば分かることだった、口を開け空気を吸うだけで鈍い痛みを伴うのだ、いわんや異物が口に入った時をや!ぱくりと一口飯を口に放りこんだ瞬間、苦痛バロメーターの天井がゆうゆうとぶち壊れた。食物を口にすると激痛がおとずれ、口内に残った食べかすが鈍痛を生む。痛みの二重奏。それでも食欲が収まるわけではなく、なるべく舌の左側に当たらぬよう右奥歯で咀嚼するのだが、歯を動かすだけで自ずと舌の裏が擦れ、努力の甲斐なく激痛が襲いかかるのだ。痛覚が味覚を圧倒的に上回り、食物ではなく自分の舌を噛み砕いているようだった。

 食事が苦痛以外の何物でもない行為に変わり、おかげで夕飯はゼリー飲料のみとなった。そして私がいかに食に救われていたかを知った。睡眠欲や性欲に比べて食欲は手軽に満たすことができ、また質を高めるのもたやすい。なによりも幸福が即物的かつ持続する。食こそが私の生きる理由であった、と私は味気ないゼリーを飲みつつ思った。そして私は今、食こそが苦痛だ、つまり生きる理由をなくしている、と。

 

 翌日は朝からの出勤であった。激痛により睡眠がままならず、睡眠不足と痛みにより出勤前から疲れ切っていた。舌裏の口内炎は私の痛覚を休ませることなく、電車の揺れに合わせてずきんずきんと痛み、いらっしゃいませと言うたびまた痛み、一歩歩けばまた痛んだ。笑顔は歪み心は荒み、人格すら口内炎に支配されつつあった。

 ふだんなら仕事の唯一の楽しみである賄いすら、そのときの私にとっては苦痛でしかなかった。ふだん怒涛の勢いで飯を食らう私が、泣きそうな面持ちでとろとろと咀嚼している姿が奇怪に映ったのであろう。一緒に賄いを食べていた同僚が、どうしたんですか、と声をかけてきた。口内炎が痛いんです、ベロの裏に口内炎ができたんです、マジで半端ないんです、と呂律の回らぬ舌でたどたどしく説明すると、彼女はケタケタと笑った。

 「私も口内炎よくできますけどそんなんはマジないっすわー、ありえないっすわー、薬とかちゃんと使ってますか」

 口内炎ができにくい人間が慢性口内炎人間を見下すように、慢性口内炎人間内にもカーストがあるのだ、私は慢性口内炎人間カースト内でも下位へと落ちたのだ。目の前で大口を開けながら嘲う女にほのかな殺意を抱きつつ、答えた。

 「薬は一応塗ってるけど、逆に痛くなるんですよ、塗りにくいし」

 そうなのだ。「口内炎あるある!薬が塗りにくい!」と言えば、口内炎経験者はたいていうなずいてくれるだろう。口内炎の塗り薬は異常に粘度が高く、クリームというよりは泥に近い。それを患部に塗るのだが、指に薬がはりつき離れず、やむをえず患部に押し付け指を上下させることになる。もちろん患部を刺激するので痛みを伴う。さらにそんなふうに塗るものだからきちんと貼りつかず、唾液により患部からずれ痛みが増幅する。そうでなくても口内に泥に似たぬるぬるとした異物があると気になって仕方がない。唇の裏ですらそうだったのが、舌の裏となるとさらに大変で、患部の位置を特定するために鏡の前で両手で大口を開けて舌を上に向け、震える指でそろそろと塗らなければならず、そのアホ面を鏡で見ることもまた苦痛だった。さらに結局しっかりとは見えていないものだから患部にジャストヒットせず、結果的にアホ面で自ら口内炎を痛めつけただけの結果に終わったのだ。

 「塗るやつだからいけないんすよー。貼り薬いいですよ貼り薬、あんま気にならないしお勧めです、ちょっと待ってください調べます、えっと……これこれ」

 そう言って彼女がスマホの画面をこちらに見せた。そこで紹介されていたのが第一三共ヘルスケアの”トラフルダイレクト”であった。

 私はそのときまで貼り薬を忌避していた。「塗る」と「貼る」では似て非なる。どうしても絆創膏のようなイメージが抜けず、フィルムが口の中で溶けるというそのケミカルな響きがおそろしかった。化学物質はどうしても不健康なイメージがある。私は元来文系かつ頭が悪いので、具体的にどのような物質がどのように悪い、ということを何一つ調べたわけではないのだが、生理的な忌避というのは本能に訴えかけるぶん何よりも強い。しかしもはやそんなことを言っている場合ではなかった。食への渇望の前には、私の生理的嫌悪感やプライドなどクソ以下だ。小汚い親父に札束を差し出された女子高生みたいなものだ、圧倒的な餌の前ではひざまずくし股を開くし靴だって舐める。私は普段の三倍以上時間をかけて食事を終えたのち、すぐ薬局へ走った。

 トラフルダイレクトの見た目は絆創膏によく似ていたが、予想していたよりも大きくそして堅く、やはり口内に貼るのは抵抗があった。しかしつべこべ言っている場合ではない。鏡の前でアホ面を晒し、指先にその肌色の丸いシールを置き、そろそろと患部へ指を伸ばした。患部へシールを乗せたときまず私におとずれたのは、とても貼りやすい、という喜びだった。指からすっと離れるため苦労しないし、またシールの面積が広いため、多少のずれがあっても患部をカバーするのだ。おずおずと舌を動かしてみた。口内にシールが貼られている違和感は確かにあるが、思ったほど悪くはない。少なくとも泥に似た物質が口内にへばりついている不快感に比べれば。そして何より痛みが治まった。ちりちりとした痛みは残っているが、あの口を開けるたびに襲いかかってきた身を切るような激痛に比べればなんということはない。

 そして何よりも、食の快楽が私に帰ってきた。その日の夕飯はなんの変哲もない揚げ物だったが、痛みを伴わずに咀嚼ができるということは、いかに幸福なことであるか。味覚とはこんなに全身へ行き渡るものだったか。私はいま生きている、と実感することなどしばらくなかった。あまりの歓びに涙が出そうになった。

 

―――死にたいほどつらいことがあったら、舌裏に口内炎を作りなさい。二日も経てば、あなたは絶望にさらなる底があったことを知るでしょう。そしてトラフルダイレクトを貼って食事をしなさい。あなたにふつふつと、生きる希望が沸くでしょう。

 

 トラフルダイレクトは一日二回の用量と決められており、また十五分もすれば溶けてしまうため、一回で得られるのはあまりに短い静寂だ。しかしフィルムが溶けていくとともに痛みが帰ってくるとはいえ、貼る前よりも確かに落ち着いていることが実感でき、快方へ向かっているという安心感が得られるのだ。

 翌日の朝にはずいぶん楽になり、死の淵から蘇ったような心持ちで目覚めた。私はトラフルダイレクトと、トラフルダイレクトを教えてくれた彼女へ心の底から感謝せずにはいられず、近所の洋菓子屋で焼き菓子をいくつか適当にみつくろい、もう本当にありがとうございましたという礼とともに渡した。

 彼女は、なにもそこまでせんでもいいですよ、とまたケタケタと笑ったのだった。

 

 その彼女が、もうすべてがつらいんです、なんで私ばっかり、もうあのひとがいやだしあの上司がいやだし、とにかくぜんぶいやなんです、と言ったのは、つい先日のことである。私が舌裏の口内炎に苦しんでから、すでに半年以上経っていた。三日以内に二週間の休暇をください、無理ならばただちに辞職させてください、と彼女は泣きながら訴えた。

 本当は肩を叩いて「その気持ちすっごいわかるもうマジで心の底からわかる俺も辞めたい!」と言いたかったし、膝を崩しながら「この人員不足に陥る時期に唐突にそんなこと言わないでくれよどうしてもっと早く言わないんだよ」と泣き出したかったし、髪をかきむしりながら「なんで私ばっかりじゃねえよそれは俺のセリフだよ」と半狂乱になりたかった。けれど、私は茫然としつつ、わかった、という言葉以外吐くことができなかった。これを上司に伝えれば、迷うまでもなくただちに辞職させる流れになるだろう。来月からのシフトがえらいことになるな、と暗い気分に陥りながら私が考えたのは、トラフルダイレクトのことだった。

 よくくだらないことをともに話していたにも関わらず、彼女がそこまで思いつめていたことに気付かなかった私にも責任はあるだろうし、彼女と同じくらい私も仕事に苦痛を感じているであろうから同情はする、けれどもちょうど人員不足に陥る時期を見計らわれたという怒りと、あまりに唐突で叶うはずがないとわかっているであろう要望を提示されたことに対する苛立ちを禁じえず、相反する感情に揺れ動き混沌として、そこに結論を見出せそうになかった。

 だから、この子はトラフルダイレクトのことを教えてくれた、と思うことにしたのだ。私にとって舌裏の口内炎は、近年まれに見る生きる希望を失くしかねないほどの苦痛であり、彼女が苦痛から私を救った、だから私は彼女を許さねば、と。

 

 彼女が去って三週間が経ち、仕事の負担は予想通り増え、心は荒み身体はきしみ、そして唇の裏には口内炎が二つできた。すでに常備薬となったトラフルダイレクトを患部に貼るとき、否応なしに彼女を思った。

 君はそんなに如何ともしがたいほどすべてがつらかったのか。くだらない話をしているときも、お客様から頂いたお菓子を嬉しそうに選んでいるときも、上司の愚痴を言い合いながらケタケタと笑っていたときもすべて。

 私は彼女を恨まないことに決めたから、心の奥底に残っているのは悲しみだけだ。

 私は口内炎ができにくい体質にはなれないし、だからきっと一生彼女のことを忘れられない。

 

2016年2月20日、職場にて