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dan-matsu-ma

イアラー!

贅肉を捨てよ、町へ出よう(契約編)

 本当に私はジムに通う人間を嫌悪していたのだ。
「筋肉のためにジムなんて気持ち悪い」と思っていた。健康のために通う人が大多数であろうことは無視し、ただ悪意だけをもって見つめていた。
 はじめは、ただ自らが為しえないことに対する羨望からくる嫉妬だったのかもしれない。それでも何年も煮詰めればもはや嫉妬も羨望もクソもなくなって、ただのヘドロみたいな嫌悪だけが残っていたのだ。

 友人からは会うたびに「お前その腹やばいよ」と言われ続けていた。あまりにも言われすぎたため、「お前のその顔のデカさもやばいよ」と切って返すことで(友情ポイントをすり減らしながら)対抗していた。友人も友人で「いや俺は本当に心配して言っているんだよ」とわざとらしく返してくるので、「俺もてめえの顔のでかさを本当に心配してるんだよ」と無理やりマウントを取りにいくことで現実から目を逸らしていた(私の根性はくさっている)。
 ときどき腹肉をつまみながらも、いつか勝手になくなるだろうとたかをくくっていたのだ。

 しかしとうとう現実が私を捕らえた。母親・同僚・恋人から「腹がやばい」と言われたのである。
 ただの近しい三方から、という話ではない。子供には基本甘く褒める主義の母親と、当たり障りのない会話しかしない同僚と、私の見た目についてほとんど何も語らない恋人からの言葉である。
 いつのまにか私の贅肉は、母のわが子に対する愛を越え、同僚のオブラートを突き破り、恋人に学術的興味を持たせるほどの威力を持っていた。安穏と過ごしていた私の世界を贅肉が破壊しはじめたのだ。
 世界を守るために、私は贅肉と戦うしかなかった。

 どうやら本当に私の腹肉はやばいらしい、もうジムに通うしかない、と友人に告げたとき、「だから言ったじゃん」と彼はケタケタ笑いながら答えた。十年来の付き合いでもほとんど見たことのない喜色満面なツラにまた悪態をつきたくなったが、ぐっと飲み込み素直に白旗を挙げざるを得なかった。私はジムを忌避するあまりジム関連の知識が皆無だったので、教えを乞うしかなかったのだ。事実上の敗北である。
「エニタイムフィットネスがいいよ。まず24時間空いてるからお前みたいな仕事でも帰りに寄れるし、従業員もいない時間が多いから人とまったく関わらないでトレーニングできるし、あとシャワーも浴びれるからジム寄った後帰ってすぐに寝れるし。それに全店舗利用できるから、単純にシャワー浴びたいときにも便利だよね。何回でも好きな時間に通えるから他のジムより絶対得だよ」
 彼は自分の通うジムの利点をすらすらと挙げてみせた。進研ゼミの漫画かアムウェイの勧誘か、はたまた新興宗教かと勘違いするほどであったが、しかし私は弱っていたのでうんうんとうなずきながら聞いていた。おそらく教祖様からのご説法を聞く信者のように、目はきらきらと輝いていたであろう。しかし私にはお布施するための金がなかった。5000円の入会金と7000円の月謝が唯一の抜け道だった。「懐に余裕ができてからにしよう」とその日は結論づけ、洗脳から逃れた。

 神はそれでも、愚かな私を見捨てはしなかった。
 “入会金無料キャンペーン!今なら一カ月分月額が2980円!”というエニタイムフィットネスのチラシを見つけたのは、翌々日のことである。
 これを運命と言わずして何と言うのか。神が私の腹肉を憂いている。神が私にジムへ通えと告げている!

 幸い私は自立しているので、両親に「エニタイムフィットネスに通いたいんだ!エニタイムフィットネスならお得だしぼくも贅肉を落とせるんだ!」と相談する必要がないし、「あらあら、エニタイムフィットネスなら家計に負担も少ないわ……本当にエニタイムフィットネスなら続けられるの?」という質問が帰ってくる心配もなかった。私の決意だけがあればよかった。
 もはや嫌悪は消え失せていた。私の悪意で満ちていたパンドラの箱には、ジムにさえ通えば贅肉から解放される、という希望だけが残っていた。
 そして契約を済ませた瞬間、私はもう贅肉から解放されたつもりでいた。その先に必要な努力のことなんて、考えもしなかったのだ。

 余談だが、私は高校時代進研ゼミに挫折している。

 

2017.1.28 自宅にて