dan-matsu-ma

イアラー!

プレシャス・ディナー

 高級ワインを、澱が混じらぬよう丁寧にお客様のグラスに注いでみせる。お客様はこちらを一瞥もせず当然のようにグラスを手にする。私の存在どこへやら。わああ、さすがお客様、ぐるぐるワイングラスを回してじっくりと香りを堪能していらっしゃる!絵になるわあ!美しいわあ!写真に撮って額縁に入れてそのまま額縁ごと海に投げ込みたいぐらいだわあ! 
 二十一万四千円。私の手取りを超えるお食事とワインが大企業の会社員様の腹を満たしていく。ああこのワインの瓶でお客様イコール神様のドタマをかち割って財布奪って逃走したい。シュレーダーカベルネソーヴィニヨンベクストファートカロンヴィンヤード2001年の瓶でかち割られるならワインを愛するあなたには本望でしょう?金色もしくは黒色そしてプラチナ色に輝くカードなんてもう見たくないのだけれど、もちろん自分が持つなら話は別よ。世界でいちばん甘美な妄想にこっそりぼんやりと浸りながら、お客様のお皿を覗いてみる。まだまだ残っております、なぜならお客様はワインの世界に浸っているから。お客様が前菜をお召し上がり終わるまで何をしましょうかしらの巻。 
 類語辞典とか読みたい。小難しい言葉を探して悦に入りたい。少年ジャンプとかコロコロコミックでもかまわない、単純な漫画に心を躍らせたい。携帯いじって2ちゃんねるとか見ていたい。オナニーしたい今日なんかむらむらするし。しかし私は仕事中なのだ。本は読めないし携帯も開けないし、もちろんちんこも出せない。よって妥協、結局いつも通り、LAMYの万年筆とメモ帳を取り出す。小説を読んでいて見つけた小難しい言葉だとか、類語辞典で見つけた響きの美しい言葉だとか、ふと思いついた表現だとか、そういうもので埋まっているメモ帳を見て少しほっとする。最近のマイブーム・ワードは吝嗇。りんしょく。うむ、いい響きである。ケチではないのだ、吝嗇家なのだ。意味が同じであろうと、美しい響きを得れば美しい言葉になるのだ。毎日ちびちびと安酒を飲んでいる私をケチと呼ばないでください、私はりんしょくかなのです。もっと言うとただの安月給なのです。 
 お客様がようやく前菜を食べ終わりそうなので、インカムで「キッチンさん、六卓のスープをスタートでお願いします」と注文。そうしてスープが届くまでまた文字の世界。逃げるのだ現実から。仕事中に現実逃避とは、仕事とはいったいなんぞや。 
 仕事について考えてしまえば終わりはない。考えては駄目な事柄ナンバーワン。考えるのは哲学にでも勤しもうと思ったときでよい。「わざわざ大学まで出て飲食業なの」くらいなら言われ慣れすぎてまだよかった。「つまるところ水商売でしょ」とはまあ、辞書で調べると、水商売【みずしょうばい】料理屋・待合・酒場・バーなど、客に遊興させるのを目的とし、客の人気によって収入が動く、盛衰の激しい商売、となっているため間違いではあるまいと思うことにした。しかしまあ、「飲食業なんて賎業じゃん」とまで言い出した神様がいらっしゃって、もうくやしくてくやしくてその日は酒を片手にワンルームで罵詈雑言を叫びまくって、なんとか憂さ晴らしをしたのはいいのだけれども結局その言葉は心に根付いてしまったわけで、それからはもう駄目になってしまったのだ。その言葉を抱えながらこの仕事を続けていくには、とてつもなく強靭な意思が必要なのだ、そんなものは私にありません。「自分で選んだ」なんて素敵な枕詞などなんの役に立つ。「自分で選んだ賎業だから後悔はありません!」ってか!お笑い種だわ! 
 だから書かねばならぬのだ。プロを目指すわけでなくとも、言葉を頭のなかでこねくりこねくりまわして、なにか文章を書かねばならぬのだ。そうすれば張りぼての優越感に浸ることができるのだ。 
 私は文章を書く、糞みたいな文章だけどそれでもとにかく自分で世界を作り上げることができる、だから高級ワインなんて呑まなくても幸福なのだ、金がなくとも幸福なのだ、万能であるが故に幸福なのだ、と自分に言い聞かせなければならないのだ。ならないのだよワトソン君。他人から言わせればそれがとてつもなくつまらなくて読みにくくて洗練されていないものであっても、自らの優越感を満たすためならば全然かまわないのだ。かまわないのだよワトソン君! 
 キッチンからバイトがスープを持ってくるのが見えたところで、ノートを閉じる。 
「失礼いたします、お皿をお下げいたします」 
 今度はお客様は私の存在を認識したみたいで、ちゃんと一瞥してくださり(一瞥ってこんなに価値のあるものだったかしら)、「ありがとさん」と一言。ああ、それだけで私はほだされてしまう。まさしく神の言葉。この人は大企業の会社員様でお客様で神様でいまいちいけすかないけど、でも決して悪い人じゃなくてきっとこの人なりにいろんな悩み事とか希望とかあるんだろうから、ワインの瓶でドタマをかち割っちゃいけないなあ。分かっちゃいるけれど、でもいつか、それでも鬱憤が溜まって決して悪い人でない誰かのドタマをかち割ってしまうかもしれないから、やっぱり文章は書かねばならぬのだよなあ、と思うのであった。 


2012年9月24日 職場にて