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イアラー!

アイスクリームの天秤

 10年使っていた冷蔵庫がいよいよ壊れたので、買い替えることになった。科学の進歩はめまぐるしく、大抵の家電は買い替えると新たな機能がついていたりして多少なりとも楽しみがあるものだが、冷蔵庫に関しては別だ。新しい機種でもせいぜい「急速冷凍」「自動製氷」くらいで、結局「冷やす」「凍らせる」だけだ。特に目新しい機能はなく、何の楽しみもない、つまるところただの痛い出費である。
 だがまあ、これもいい機会と考え、冷凍庫を整理することにした。いつ冷凍したかわからない惣菜や野菜であふれており、スペースが足りなかったのだ。コロナ禍により満員電車を避けて自転車通勤をはじめたところ、疲労がたまるようになり、疲労がたまると湯舟に浸かりたくなり、湯舟に浸かるとアイスが食べたくなる――というサンプルが私一人だけの風桶理論により、我が家のアイスの消費量が増加していた。都度購入するのは手間だし、コンビニで買うのは家計に優しくないし、この機会にアイスを常にストックしようと決心した。

 

 さて、この世にはハーゲンダッツというアイスがある。バラエティ豊かなフレーバーとリッチなテイスト。ささやかな贅沢の象徴、ハーゲンダッツ。充分な収入を得た結果もはやハーゲンダッツなど贅沢ではなくなりました、という人は多々いるかもしれないが、幼いころからアイス=ハーゲンダッツが当たり前だった、という人はそういるまい。私にとってももちろんハーゲンダッツは高級品で、とても子供の小遣いで買えるものではなかったので、時々父が土産に買ってきてくれるのが嬉しかったものだ。
 そんな私も定職に就き、自分の食い扶持くらいはかろうじて賄える大人になったので、「ハーゲンダッツが食べたい」と思ったときくらいにはハーゲンダッツを食べられるようになった。しかし、これはあくまで「ハーゲンダッツが食べたい」と思った時の話で、漠然と「アイスが食べたい」と思った時の話ではない。
 アイスをストックするにあたり、本当はハーゲンダッツだけをストックしたいという野望はある。だが、家計にそんな余裕はない。安いアイスとハーゲンダッツには倍以上もの価格差があるので、ただ「アイスが食べたい」というだけならば、安いアイスを選ぶようにしているのだ。低収入の私にとって、未だにハーゲンダッツはささやかな贅沢の象徴だ。いつもどんな時でもハーゲンダッツを選べるほど余裕のある大人にはなれなかったし、これから先なれそうもない。だが、そもそも安いアイスを食べなければハーゲンダッツのリッチテイストをリッチと感じられなくなり、ハーゲンダッツのありがたみを忘れてしまうに違いない。
 それに、安いアイスは安いアイスでおいしい。雪見だいふく、スーパーカップパピコあいすまんじゅうアイスの実に牧場しぼり。ハーゲンダッツが贅沢ならば、安いアイスは生活に根差したおいしさだ。
 とはいえ、安いアイスだけストックしていても、ハーゲンダッツを食べたいときの欲望が満たされず、結局コンビニへ走る恐れがある。欲望と家計は常に相反する。欲望を満たそうとすればするほど、家計は圧迫されていく。欲望と家計を両立するために、常に両者をストックする必要があった。

 

 とりあえず、真新しい冷蔵庫にハーゲンダッツと安アイスを各1個ずつストックするところからスタートしてみた。だが、すぐに「これはありえない」と悟った。1-1=0だからだ。0になると、もうストックがない、という焦燥が生まれる。すぐにストックを買わなければいけない、買い忘れたらどうしよう、という不安がわくわくアイスタイムに影を落とす。アイスの甘味に不安の苦味が混ざり、純粋にアイスを楽しめなくなってしまう。1は呪縛の数字だ。これならいっそはじめから0のほうがまだましだ。
 というわけで各2個にしてみたのだが、そこで問題となったのがハーゲンダッツの豊富なバラエティである。個人的なハーゲンダッツ・スタンダードフレーバー・ローテーションだけでも、バニラ、クッキーアンドクリーム、マカデミアナッツ、ラムレーズン、リッチミルク、グリーンティー、クリスピーサンドのザ・キャラメルに棒タイプのバニラチョコレートマカデミアと、計8種類にも及ぶ。さらにハーゲンダッツには期間限定フレーバーまであるのだ。「限定」という言葉には、「これを逃すともう食べられない」という脅迫の意がこめられている。しかし、2個ストックのうち1個を期間限定フレーバーにしてしまうと、「ああ今はバニラと蜜いもしかないのか、バニラの気分ではないけど蜜いもの気分ではもっとないなあ。そもそも蜜いもって毎年恒例にするほどの限定フレーバーじゃねえだろ、ふざけてんのか?」とせっかくのハーゲンダッツタイムなのに妥協しながら蜜いもを食べる羽目になったりするのだ(そんなことを考えつつも結局毎年蜜いもを購入してしまうのがハーゲンダッツ限定フレーバーの恐ろしさである)。妥協するならば妥協しきって安アイスにすればいいものを、食べたくないハーゲンダッツフレーバーであってもハーゲンダッツ気分はそれなりに満たされてしまうがゆえに、妥協ハーゲンという家計にも欲望にも優しくない最悪の結果へと陥る。贅沢に妥協はいらない。
 よって、ハーゲンダッツは少なくとも3個(定番2+期間限定1)欲しい。しかし、ハーゲン3に安アイス2となると、今度はハーゲンへの余裕が生まれすぎてしまう。たとえ安アイスで満たされる気分であっても「まあ、せっかくだからハーゲンダッツにするか」と想定外のハーゲンチョイスが生じてしまうのだ。これはストックゆえの弊害でもある。ハーゲンダッツは価格が高いとはいえ、それはあくまで購入までのハードルだ。たとえば都度購入であれば、ハーゲンダッツを購入するコスト=ハーゲンダッツを食べるコストなのだが、これがストックのための購入となると、ハーゲンダッツを購入するコスト=ハーゲンダッツをストックするコスト=冷凍庫に入るまでのコストとなる。そして、冷凍庫に入ってしまえばもはや私の所有物であり、食べるコストは実質0となってしまう(?)。同じ0コストで、ハーゲンダッツが多数派ならば、そちらを選ぶのは当然。数こそ正義。いくらマイノリティが声をあげようと、マジョリティには勝つのは容易ではない。つまり、家計のことを考えるとハーゲンダッツをマジョリティにするのは避けるべきなのだ。
 つまり、ベストバランスは“ハーゲン3に安アイス4”となる。こうすれば、ハーゲン気分のときには大抵望んだハーゲンフレーバーをチョイスできるし、基本的には多数派である安アイスを選ぶことになるはずだ。
 非常に満足のいく結論が出たので、私はさっそく完璧なバランスのアイスストックをはじめることとした。これからスーパーで買い物をする際は、ストックがハーゲン3・安アイス4になるよう補充分を購入すればいいだけ。簡単なことのはずだった。

 

 しかし、現実は頭で考えるようにうまくはいかない。スーパーに行くたびに、さあストックを補充しようと意気込みながら、アイス棚の前でフリーズ(アイスだけに)するようになってしまったのだ。
 昨日はハーゲンを食べた。一昨日は……確か雪見だいふくを食べた。その前は……ハーゲン? スーパーカップ? どっちだったっけ。そもそも前に補充したのはいつだったっけ? 冷凍庫に今何個入っているんだっけ? ハーゲンダッツはバニラが残っているんだっけ、グリーンティが残っているんだっけ? この期間限定フレーバーはもう食べたんだっけ?
 突如始まる脳トレタイム。計7個のアイスを、記憶力が低下しきった私の脳で管理するのは無理があった。買い出しは大抵仕事帰りのため、家に一度帰ってわざわざ確認するのはつらい。スマホにでもメモしておけばいいだけの話かもしれないが、そもそもそんなことができるほど管理能力のある人間なら、家計のことを考えてハーゲンダッツを我慢することだってできるし、期間限定であっても蜜いもなんて買わないし、そもそも7個もアイスをストックしない。買い出しのたびにアイス棚で始まる脳トレと、ストック数が間違っていたときの落胆が繰り返されることとなった。


 残業が長引いた日の帰り道だった。疲れ果てていたものの、冷蔵庫に何の食材もなく夕飯を買わねばならなかったので、スーパーへ立ち寄ることにした。そういえばスーパーに来るのは結構久々だ、アイスのストックを買わねば、と思い立ち、アイス棚の前に立っていつもの脳トレをはじめようとしたところで、突然虚しさが襲いかかってきた。

 何をしているんだ。仕事で疲れているのに、こんなことに脳のメモリを割いている場合なのか。

 ふと、すべてがどうでもよくなってしまった。もういいや。

 脳トレを止め、アイス棚の扉を開け、心のままにハーゲンダッツを買い物かごへぶちこんだ。雪見だいふくも、スーパーカップも、アイスの実もぶちこみ、計12個にも及ぶアイスを購入した。たくさんあれば、しばらくはなくなることはないから、だいじょうぶ。冷凍庫にアイスをすべてぶちこんだ。脳トレから解放され、実に爽快だった。数こそ正義。数こそ正義。数こそ正義!

 こうして、我が家の冷凍庫はアイスで溢れかえるバカの冷凍庫になった。バランスも何も考えず、食べたいアイスを選ぶ。そして、数が減れば何も考えずにまたたくさんのアイスを購入してストックするだけでよかった。
 それで結局なんとかなっている。なんとかなってしまうのだ。
 はじめからこうすればよかった。幼いころから多数決で何もかもが決められてきたではないか、数こそ正義だと学んできたではないか。結局数さえあればいい。これからも多数に流されていけばいい。マジョリティに従っていけばいい。自分の意見なんてもはやどうでもいい。
 そう、ここは民主主義国家ニッポン!

 

 そうして私は考えることをやめた。

 己がセクシャルマイノリティであるという事実は、もう忘れることにした。

 

 2021年6月-7月 自宅にて

 

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