dan-matsu-ma

イアラー!

ときめきこそが人生か

「ときめかぬなら捨てよ」と、かの女は言った。

 その教えはものすごい勢いで全世界へ広がり、異教徒の私ですらも意識せずにはいられないほどになった。非キリスト教圏におけるクリスマスのように、もはや宗教の垣根を越え、人々を時に救い、時に陥れる。

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グッドバイ・ディナー

 飲食業を蔑む人間は、少数だが確かに存在する。大多数はそんなことなど考えない、職業に貴賤などないとわかっていても、私は他人の蔑みにひどく敏感になり、過剰に卑屈になってしまった。5年前からまったく成長していない。仕事の話を聞かれるのが嫌だった。拗らせすぎて、「飲食業を蔑む人っているけどどうかと思う」といった意見にすら見下されているような気になり反感を抱くようになった。腐女子を憎むゲイにも似た、一番面倒くさいタイプである。

 それでも私は6年働いた。面接で現職について語るとき、言葉に詰まることはまったくなかった。何を楽しんで仕事をしていたのか、何を得たのか、何に活かせるのか。改めて考えるまでもなかった。私はこの仕事が本当に好きだった。

 新しい仕事を探し始めてようやく、私は今の仕事を誇りたかったのだなあ、と気づいた。そして、誇れなかったのは仕事のせいではなくて、すべて私が悪かったのだな、と。

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贅肉を捨てよ、町へ出よう(実践編あるいは完結編)

 私は食べるのが好きだ。

 食はいつでも幸福をくれる。100円のあんぱんでも、10,000円の天ぷらでもいい。貧乏舌なので、10,000円の天ぷらにあんぱん100個分の価値があるかと問われると難しいのだが、だからといってあんぱんを100個食いたいという話ではなくて、安きにも高きにもそれぞれ違った幸福がある。今日はなにをたべようかな、とぼんやり考えている時間にも希望がある。たとえどんなにつらいことがあろうとも、私は食によって救われるだろうな、と思う。

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贅肉を捨てよ、町へ出よう(契約編)

 本当に私はジムに通う人間を嫌悪していたのだ。
「筋肉のためにジムなんて気持ち悪い」と思っていた。健康のために通う人が大多数であろうことは無視し、ただ悪意だけをもって見つめていた。
 はじめは、ただ自らが為しえないことに対する羨望からくる嫉妬だったのかもしれない。それでも何年も煮詰めればもはや嫉妬も羨望もクソもなくなって、ただのヘドロみたいな嫌悪だけが残っていたのだ。

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季節はとつぜんにすぎさり

 ああもう冬かあ、いやまだ冬やないやろ、いくらなんでもまだ秋やろ、という薄ら寒い一人ノリツッコミを、もう何年くりかえしただろうか。
 今年もサッポロビールより冬物語が発売された。例年に違わず、まだ10月だというのに。毎年、このビールを見つけるたびに、つまらない漫才師になったような気分にさせられる。

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