dan-matsu-ma

イアラー!

正しいままではいられなくとも

 そもそもはじめに口ごもったのがよくなかった。

 先日訪れた調剤薬局から「お渡ししたお釣りが少なかったので、お返ししたいのですが」と電話があり、あらまあそれは仕方ないわねえ面倒くさいけど取りに行くしかないわねえ、と心の中でぶつくさつぶやきながら、つい「おいくらですか?」と聞いたところ、「130円ですね」という答えが返ってきたときに、即座に「わかりました、それでは後日取りに参ります」と大人の対応をすべきだった。

 しかし私はケチなので金の計算だけは早く、薬局までの所要時間を計算し(自宅から徒歩15分)時給換算し(15分で130円、つまり時給520円。往復で考えるとさらに半額)日本の最低賃金(沖縄および高知の時給820円)を大幅に下回っていることに怯んでしまった。

 とはいえケチな私にとって「あらマァそれくらい、募金でもしといてくださいませ」と“それくらい”で済ますには130円とはあまりに微妙な金額で、コンビニだったらアイスもペットボトルも買えないけどスーパーならアイスもペットボトルも買えるよな、100円未満なら諦めもつくし300円以上なら迷わず取りに行くけど微妙なとこ突いてくるなあ、そもそも薬局に募金箱があるのかどうかもわからんし、「取っといてください」みたいな言い方も成金のようでいやらしいし……まあしょうがない、そのうち何かのついでに近くへ立ち寄ることもあるだろう……というようなことを考えた結果、「あ……じゃあまあ、後日取りに行きます」ととまどい混じりの返答をしてしまったのだ。

 

 この「あ……」という応答のちの沈黙、および「じゃあまあ」という否定的な妥協のようにも聞こえる接続詞により、薬剤師らしき女性がホスピタリティを発揮して「どうやらこの客は静かに怒っているらしいぞ、面倒くせえけどまあしょうがねえ」と考え、「いえ、それならばお家まで届けに参ります」と回答してきたのもやむを得ないことである。私が口ごもりさえしなければよかった。もしくは130円なぞ捨てられるくらい金持ちだったらよかった。

 

 「取りに行く」と言っているのに「それならば」と、130円ごときを家までわざわざ届けに来てくれるという真逆の提案をかましてくる、クレーマー相手のごとき深慮の行き届きすぎた返答に、私はおおいに焦った。「いやいや、取りに行きますので!」と最低賃金の件を頭の片隅に追いやり必死に抵抗したものの、その必死さが怒気のようにも聞こえたのか、相手も「いえ、届けに参りますので!」と譲ろうとしない。クレーマーに思われてなるものかと躍起になった私は、つい「いや、大丈夫です!  外出中ですから!」と声を荒げてしまうという、却ってクレーマーに近い行為をやらかした。すると相手も怯んだのか匙を投げ(薬局だけに)、「それなら……どうしますか?」とこちらに判断を委ねてきた。

 

 せめてここで思考を放棄すればよかった。

 私は最初から(最低賃金の件はともかく)「取りに行く」と言っていたのだから、改めて「それでは後日取りに参りますね」と何も考えず答えておくのが正解だった。

 しかし焦りすぎて感情が昂っているなか判断を仰がれた私は混乱し、「なぜ彼女はわざわざ家にまで届けようとしているのか?」と考えてしまった。冷静に考えればただクレーマー相手のオペレーションに切り替えただけという話なのに、「まあ、釣り銭の間違いを別日シフトの従業員に申し送りすんのって案外面倒くさいよね。私も長年接客業をしていたからわかるわあ。そもそも失敗は翌日に持ち越したくないしね、今日のうちに解決しときたい、そういうことでしょ?」と咄嗟に深読みをし、配慮をしているつもりで「それじゃあ、ドアポストにでも入れておいていただければ……」と回答してしまったのだ。

 

 電話を切ると同時に冷静さを取り戻し、間違えた、やっぱり取りに行くって言うべきだった、と後悔が襲ってきたがもう遅い。すでに130円分ではすまないほど精神が摩耗していた。

 まあでも、わざわざクレーマーと顔合わすよりドアポストに入れとくだけの方が時間もかからないし、家が近所なのかもしれないし、気楽に違いない――と思い込むことで、なんとか罪悪感を薄めた。家にまで来させるのは申し訳ないが、顔を合わせての謝罪はさせずに済むし、もともとは向こうのミスというのは間違いないんだから、まあおあいこだろう。

 

 家に帰り着きドアポストを確認したところ、確かに薬局の名前入りの封筒が入っていた。ひっくりかえすと、折り畳まれた領収書と、チャック袋に入った130円が出てきた。封筒ならば裸で現金を入れておいてもいいのに、わざわざチャック袋に入れてくれている、と思うと罪悪感が顔をもたげたが、まあチャック袋は腐るほどあるだろう、薬局といえばチャック袋だ、とマジカル頭脳パワーならアウトになるであろう無理やりな連想で抑え込んだ。

 そうだ、罪悪感を抱く必要などあるものか、こちとら間違えられた客なのだ、何を間違えたのか見比べてやろうではないか、と心を湧き立たせ、先日もらった領収書を探し出し、封筒に入っていた領収書を開くと、ひらひらと紙片が舞い落ちた。

 それは、花柄の一筆箋に綴られた手紙だった。

 

 ”ご迷惑をおかけいたしまして誠に申し訳ございません”

 もう私の負けだった。”手書きの手紙”という過多なホスピタリティが私を打ちのめした。抑えつけることに成功したはずの罪悪感が、”手書きの手紙”というアイテムにより噴出した。こうなってしまえば、私はわざわざお釣りを家まで届けさせ、詫び状まで書かせた、紛うことなきクレーマーである。

 そもそもご迷惑なぞかけられちゃいなかったのだ。処方箋だと保険が効くので、市販薬よりも安く済んでラッキーと喜んでいたくらいだった。あえてご迷惑というのならば、それはお釣りを間違えたことではなく、”お釣りの間違いを私に伝えた”ことだ。お釣りの差異など知らなければ、そのまま満足していたのに。お釣りをこっそり懐に入れるくらいの小狡さがあなたにあれば、私はこんな思いを抱かずに済んで、あなたは少しだけ儲かって、二人とも幸せでいられたのに。

 あなたの正しさにより、私は薬を飲むたび胸を痛める羽目になる。あなたの正しさが、私を苦しめている。

 

 あらためて領収書を見比べてみると、封筒に入っていたものからは“計量混合調剤加算”という表記が削除されていた。字面から想像するに、薬剤師が何種かの薬を混ぜるときの点数ということか。受け取った薬はもともとパッケージングされているような漢方薬が二種類だったので、うっかり加算してしまったのだろうな――と心のざわつきを抑えながら推量しているうちに、今度は悲しみが襲いかかってきた。

 

 彼女の正しさを否定するのは間違っている。

 世界は正しくあるべきだ。少なくとも、正しくあってほしいと私は願っているはずだ。日々ニュースで流れてくる世界の不条理さに憤りをおぼえているのに。苦しみから逃れるために彼女の正しさを憎むなんて、もってのほかだ。

 それでも私は自分をかわいがりたいあまり、彼女の正しさを否定せずにはいられない。つまらない損得勘定で正しさを捻じ曲げてしまう私こそが、不条理を生み出す元凶ではないのか。

 

 いてもたってもいらなくなり、Googleで『計量混合調剤加算』と検索した。”「薬価収載されている2種類以上の医薬品を計量して、混合して調剤した場合」に算定できる点数”という答えを見ながら、計量混合調剤加算、ケイリョウコンゴウチョウザイカサン、と数度呟いた。そうして私は『計量混合調剤加算』というささやかな知識を得た。あまり役に立つわけではないだろうが、持っておくに越したことはない、ちょうど130円分くらいの知識。

 だからもう、充分だ。

 チャック袋から130円を出してポケットにねじこみ、近所のコンビニへと向かった。何気なく立ち寄ったふりをしながら、発泡酒とつまみのあたりめを手に取り、スマホSuicaで支払いをすませた。ポケットにスマホを入れるとき、まるでさも偶然小銭が入っていたことに気付いたかのような素振りで130円を取り出し、レジ横の募金箱へぶちこんだ。

 これでいい。彼女の正しさにより、私は『計量混合調剤加算』という知識を得て、彼女は失敗を翌日に持ち越さずに済み、世界の恵まれない子供にはワクチンが届けられた。みんなが少しだけ幸せになった。これでハッピーエンド、めでたしめでたし、とっぴんぱらりのぷう。130円あったら発泡酒がビールになったな、と相変わらずさもしい心が囁いてきたが、無視することにした。

 

 最初から「あらマァそれくらい、募金でもしといてくださいませ」って言えばよかった。

 

2022年2月 自宅にて