dan-matsu-ma

イアラー!

いつかまた会える日がくるかしら

 連休の最終日、明日からの仕事に備え肩こりを解消したく、整体へ行った。夜八時からの回しか空いておらず、整体を終えたのは十時近かった。こりの痛みからしばし解放され、身も心も軽くなったところで、異様な空腹をおぼえた。整体中にリバースするわけにもいかないので、まだ夕食をとっていなかったのだ。ああ、ラーメンが食いたい。いっちょスタミナが欲しい。しかし世は緊急事態、当然ラーメン屋はすでに閉店している。インスタントラーメンは家にストックしているが、あれは求めているラーメンではない。あれは“インスタント”とやらに魂を売り、“インスタント”と引き換えにラーメンを失った、つまりただのインスタントである。インスタントに私の心は癒やせない、求めているのは“ラーメン”だ。明日からまた仕事がはじまるんだ、嫌だけど生きていくには働かないといけないんだ、だから明日への活力のために妥協はできない、ラーメンが食いたい、ラーメンが食いたい、ラーメンが食いたい。

 そんな非常事態でもラーメンが食える時代だ。便利な世の中になったもので、今はデリバリーでラーメンが注文できるのだ。しかしほとんどの店が夜十時までの注文受付で、営業していたのはいわゆる二郎系ラーメン店のみだった。私は二郎系ラーメンというものを未だかつて食べたことがなかった。初心者お断りの空気の中、注文に手間取って侮蔑の目にさらされるのが嫌だった。狭苦しい店舗で脂ぎった山盛りの丼が運ばれてきて、だれもが豚のようにむさぼっていて、どうせ味が濃いだけなのに「こってり」という形容で誤魔化しているだけで、二郎系をステータスにする馬鹿なやつらしか通わないような店だ、油っこすぎるものは苦手だし胃ももたないであろうし食うまでもあるまい、と二郎系を徹底的に見下すことで、店に入る勇気が出ない己をごまかしていた。しかし背に腹は変えられないので、背脂に腹を満たしてもらうしかあるまい。インスタントを食うよりはマシだ、と二郎系のラーメンを注文した。無料で“野菜”というオプションがあったので、罪悪感をごまかすために大盛にした。これがヤサイマシマシというやつか。

 注文後、十五分も経たずに我が家にラーメンが運ばれてきた。下手したらインスタントラーメンよりインスタントだ。配達員に“夜中に二郎系ラーメンを食べる人”として認識されていると思うと恥ずかしかった。丼型の器になみなみと注がれた、見るからにこってりしたスープ。別皿に乗せられた麺には、チャーシューと背脂が添えられていた。視覚で認知する背脂は明らかにカロリーの塊で、食う前から罪悪感をもたらす代物で、すでに胃がもたれかけていた。そしてジップロックいっぱいに詰められたもやし。せめてキャベツくらいは入っているものだと考えていたが、見渡す限りのもやし。オールもやし、もやしオンリー、これならば“もやし”と銘打てばいいのに、“野菜”とするところに悪意を感じた。正直なところ、私と二郎系のファーストコンタクトの印象は最悪だった。

 苛立ちながらスープに麺と背脂をぶちこみ、かるくかき混ぜ、ジップロックからもやしを流し込んだ。しかし、スープにひたしたもやしを一口食べてみると、なかなかどうして悪くないな、と思ってしまった。濃いめのスープと淡泊なもやしが合う。しばらくもやしを食ったところで、スープを一口飲んでみると、豚骨のうまみが脳をガツンと刺激するが思ったよりもこってりとしていない。そして麺をすすってみたところで、はっきりと実感してしまった。「ああ、うまい」と。身体がラーメンを欲していたのもあるだろうが、太麺なのでスープを吸うことなく、脂っこさがうまいこと中和されている。しばし無心で麺を食い続けた。一方で、これはよくない、と脳が危険信号を出していた。私は二郎系ラーメンをうまいと思ってしまった、これはとてもよくない、と。

 増加し続ける体重に怯え、なんとか痩せねばならないと、今日はランニングを頑張ったのだ。二駅先の整体までも歩いたのだ。リングフィットアドベンチャーで筋トレもこなしたのだ。しかし私は今、二郎系ラーメンをうまいと思っている。カロリーの塊に心奪われかけている。この恋は茨の道だ。「二郎系ラーメン」と「輝かしい未来」はほど遠い。二郎系ラーメンにはまっている人は真の幸福をつかめない、気がする(個人の見解)。二郎系ラーメンにはまった先には、奈落しかあるまい(個人の見解)。そう思いながらも、箸は止まらなかった。目の前にうまいものがあるなら、食わねばならない。だって人は理性だけでは生きていけない。

 麺を完食し、ふう、とため息をついた。正直、ものすごくおいしかったな。心が満ち足りていた。もう嘘はつけなかった。でも、これで終わりにしないといけない。終わりにしよう。私は二郎系ラーメンへの想いを断ち切らなければならない。私が未来へと歩んでいく上で、二郎系ラーメンは障壁にしかならない。もう二度と二郎系ラーメンは食わない。

 これが、最初で最後なんだ。

 そう決めてしまえば、私が次に取る行動はひとつしかなかった。冷凍庫からストックの白米を取り出し、レンジで解凍し、背脂が浮いているスープにぶちこんだ。これは別れの儀式だから仕方ない、余す事なく愛することで未練を断ち切るしかない。脂ぎったスープを吸った米を木匙で掬い、夢中でかっこんだ。これで最後だから、これで最後だからと豚のように貪り、空になった容器に「ごちそうさまでした」と謝辞を述べた。そして一息ついたところで、リングフィットアドベンチャーで追加の筋トレをはじめた。満腹の身体にはつらかったが、想いを断ち切るため、二郎系のことを忘れるため、必死にスクワットをこなした。こんな想いをするぐらいなら、出会わなければよかったのか。――いや、いつの日か、私が痩せた暁には、また素直な気持ちで会える日がくるはずだ。

 それまで、しばしのさよなら。

2021年1月11日 自宅にて