dan-matsu-ma

イアラー!

愛のサイクル

 コロナ禍で満員電車に乗るのがはばかられるようになったので、かねてからの懸念であった脂肪の燃焼も兼ねて、自転車通勤をはじめた。片道約一時間の通退勤、身体はしんどいけれど心は快適。もしかしたら歩く時間よりも自転車に乗っている時間のほうが長いかもしれない。もはや自転車は足代わりといっても過言ではない。だからもちろん大切な愛車だ。とても大切だ。本当に。本当に大切だ。前から大切だったが、今はもっと大切だ。大切でなければいけないのだ。

 私が住んでいるアパートには駐輪場がない。ポスト前のちょっとしたスペースに自転車を停めていいことにはなっているのだが、そこには当然屋根がない。
 二年前にジモティーで買ったtokyobikeのシティバイクは、タイヤがそれほど大きくないわ変速もついていないわでゆるい坂すら上るのに一苦労だけれど、カーキのボディにブラウンの前輪とホワイトの後輪のカラーリングがなんだかおしゃれでかわいくて、自慢の愛車だった。だが、そんな愛車も雨風にさらされるうち少しずつ赤錆が目立つようになっていた。それは仕方ないことだった。大切な自転車だけれど、雨が降るから万物は生き延びているし、屋根がなければ濡れるのは当然なのだから。他の住人の自転車もそこそこ錆び付いているのを横目で見て、なんとなく安心しながら駐車し、常に愛車を雨風にさらしていた。他の人もそうなんだから、仕方ないことなんだから。私の心は、右ならえの日本人的気質に芯まで染まっている。

 しかし、そんな薄汚れた自転車の群れに、ある日突然美しい自転車が加わった。おそらくビアンキクロスバイクだ。おそらく、というのは未だ全貌を見たことがないからだ。そいつはシルバーのビニールカバーをかぶっていた。カバーの隙間からのぞくレッドのボディは光沢を保ち美しく輝き、チェーンもどうやらぴかぴかだった。へえ、いいなあ、こんな自転車欲しいなあ、スイスイ漕げるんだろうなあ。しばし見惚れたのち私の愛車を見返してみると、ボディは泥で汚れてくすみ、チェーンやスポークは赤錆にまみれて、控えめに言っても小汚なかった。どきりとした。本当に私は自転車を大切にしているのか。雨ざらしにして、錆び付かせて、それを当然として改善しようともしないくせに、どの口が大切だとほざいているのか。本当に大切ならば、自転車カバーをするくらい当たり前ではないのか。私のおしゃれでかわいかった自転車は、推定ビアンキの自転車により魔法を解かれ、鉄屑に戻ってしまった。

「ねえ、隣の子は塾に通ってるらしいわよ。うちの子にも通わせてあげないとかわいそうじゃないかしら」

 子を張り合う親の気持ちが少しだけわかった。絶対的に大切な我が子なのだから、相対的にも大切に見えるようにしなきゃ。まるで愛情を受けてないみたいで、かわいそう? いや、そんなはずはない。私はちゃんと愛情を注いでいる。雨風にさらされようと、愛情は真実なのだから、それでいいはずなのだ。……本当に? だってあの子はカバーをしてもらってるよ。どうしてうちには自転車カバーがないの?

 「よそはよそ、うちはうち!」と叫ぶ親の気持ちも少しだけわかった。急に愛車が不憫になってきた。私もカバーを買うべきなのか。駐車するたび部屋に戻り、カバーを持ち出し、一階に戻って逐一かぶせて、外出するときもカバーを外して一度部屋に戻ってカバーをしまって――ああ、たぶん無理だ。正直面倒臭い。……面倒臭い? 「大切な」自転車を守るためにちょっとした手間をかけることが「面倒臭い」の? それは本当に「大切」なの? 自己矛盾と自問自答が心をさいなみはじめた。

 いや、そうだ、そもそも、自転車にカバーをかぶせるくらいなら部屋に入れればいいではないか。そんなに大切ならば、屋根がない駐輪場もどきになんて置かなければいいのだ。「なんだかこれみよがしで、まるで子供をアクセサリーにしてるみたいじゃない?」陰口をたたくママ友の気持ちも少しだけわかった。羨望を隠すために、嫉妬を悟られないために、見たこともない推定ビアンキの自転車の持ち主を罵倒した。部屋に入れるよりカバーをかぶせたほうが楽であろうことに本当は気付いていながらも、自分の至らなさを悪意で覆い隠した。

 それから自転車に乗るたび、隣に並ぶシルバーの服を着た推定ビアンキに悪態をつき、一時的な心の安寧を得るために少しずつ自分を嫌いになっていた。このままではだめだ。私は私の愛車に改めて向き合わなければいけなかった。

 そうして私は、自転車に乗るたびに「私にはおそらく毎日きちんとカバーをするほどの甲斐性がない。三十数年生きて、できもしないことをやって失敗するつらさを嫌というほど覚えてきた。だから、私はあなたにカバーをかぶせることはしない。やろうともしない。でも、それはそれとして、私はあなたのことを本当に大切に思っている。雨風にさらされて赤錆まみれになっても、私にとってはあなたこそ唯一無二の愛車だ。いつもありがとう」といった言い訳じみた感謝を毎回心の中でつぶやくようになった。愛の言葉だけ一丁前に吐きながら、彼女を痛めつけ続けるDV男の気持ちも少しだけわかった。

 これからも私は私の自転車をとても大切に思わなければいけない。私が私を嫌いにならないために。こうして愛は義務になった。推定ビアンキはいつも目の端に映っているが、見て見ぬふりをし続けている。

 

2021年6月 自宅前にて